鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

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皆さん 「泣きっ面に蜂」とは聞いたことはありませんか? とてもいやなことが重なるとそういいます。 ですが思うのです... もし幸せのハードルが低くて、いやな事が普通くらいな生活を強いられていれば、泣きっ面はふつうの真顔になるのではないかと。 ありえませんが、周りのみんなもそうであれば、それが当たり前になる。 それこそまさに過去の人間たちそのものではとおもい、 過去の壮絶さの当たり前を表示します。 1.生き残っている時点で奇跡である!!! まずはコロナのような病気は流行り病いと言い。100年周期でやってくるようですが、私たちは文明の力により、それ以外でも助けられています。それが当たり前だと認識している筈です。 ですが... 昔々はそもそもその不便という概念がないため、ボキャブラリーがない変わりに情緒があったのだが、その状況において、いつの昔も信仰や崇拝の念が強く、粘り強い。 つまり 「やることやってたらなんとかなるし、ばちも当たらないだろう(笑)」 あははっと楽観的だったわけです。 なぜならだいたい日頃の行いが良ければいいんだと思って、心が騒ぐ事がない。 もし昔の人がタイムカプセルを作れば。 今の人はそのゴミに色んな想いが詰まっているとおもう筈ですが、 大抵若い頃のものは廃れてしまうので、ただ... 驚いて、終わります。 こんなことあったねーそだねー....完! そのときより今までいっしょにいた人間のほうに気を使うのです。 というのも楽観的であれば、昔々の嫌なことも、遠い昔の事と済むからです。時間という、ちりつもって人間がよりショックに強くなる。 それは頑張って頑張ることでできることでなし、誰かが歩いている道を歩いているだけ、ようするに教えに従うことです。 それは極端に捉えると縛るようなことだと構えてしまう人もいますが、好きなことやって特化させて、すごいことやっても、それが人間的に幸せかというと、まったく関係ないに等しいです。 なぜなら得るものが多ければ失うことも多いので、頑張ること自体はいいことだと、言い聞かせ、失う時間を極端に無関心になってしまう。 そして1番アホに近いやりがちな行為は、温故知新すると。 「偉人の行為のマネをする」 「自分を大事にしない」 「相手を大切にしがち」 偉人にはなれません、 偉人は史実、変人、奇人が多いのだが、それは個性なので、意味がないです。パロディーにしましょう。 自分を大事にできない人は相手を大切にできません。逆に相手を大切にすればいいと思ってしまう人は、それなりの関係が性的関係で繋がる事がありえないのに早く気付くべきです。 泣きっ面に蜂。楽観的であれば上記のことは気にする必要はないです。 あくまで心に情緒がある場合ですが、 いやな事が続きあたってしまうとき、魔が刺したとき、自分のせいにできないなら、ゆとりという心の泉に浸りましょう。 誰かに当たる前に。 きっと当たっても支えてくれない、なぜなら、そんなあなたは自分自身を認める筈がないし...「あなたに何がわかるの?現象!」が起きて突き飛ばして、自分の心を傷付けてしまう。そんな時優しく声をかけて続けてくれる人や。つらい現実をあえてくだす人がいます。 それはいのちが大切だという念が強くある人たちです。 今までのまとめは泣きっ面に蜂でも いのちあればハッピーです。 もしそんな事があれば あなたはどうしますか?
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