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「おやすみなさい」  僕はそっと告げてから自室のベッドに身を投げた。ふたりの決断にただ黙ってうなずいたあとのことは覚えていない。きっと最後の晩餐のごとく僕の好きなものが食卓には並んだんだろう。それがからあげだったのかカレーだったのか、はたまたクリームパスタだったのか。この日の食事はただ目の前にあるものを口に運ぶだけの作業、つまりふたりを安心させるための作業だった。  子どもみたいに泣いて、わめいて、いやだとだだをこねればよかったのだろうか? それとも「勝手にしろ!」なんて言って家を飛びだせばよかったのか? いずれにしてもそういう行動をとるための回路はどこにも存在していなかった。ごろりと横向きになり夏用の軽い掛け布団に顔をうずめる。やっぱり涙は出なかった。  これからの生活はなんら変わらない。家と学校それから友だち。限られた居場所をぐるぐる回るだけだ。ただそこにお父さんがいないだけ。お母さんははじめからなにもなかったみたいに振る舞うのだろう。だって自分は納得をして別れを選んだんだから。でも僕は違う。どれだけいびつでも理想的な形でいられなくても、気に入らないことがあるから嫌いだと簡単に切り捨てられるようなものじゃなかったのに。手の届かないところで家族が欠けるむなしさと無力感を、ふたりは知っているはずなのに。  兄さえまっとうに生きていたら! 僕たち家族は丸く収まっていたに違いない! 僕らは穴を視界からはずそうとする中で、むしろそのことばかり考えていたことにようやく気づいた。自分だけのものだと思っていた心が、少しずつ兄に侵され、追いやられていたのだ。僕らの間にはいつだって兄がいた。僕らは、兄という暗く深い穴を共有していた。
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