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「前にも説明したでしょ。父親に虐待されて追い出されたあの子に帰るところなんて無いの。それに……」
そうなんだ。わたしはお父さんに捨てられたんだ。
「ううん。なんでも無い。あの子のことは、どうにか考えるから、ね。少しだけ待って。一度ちゃんと会って話そう。ね?」
電話を切ってから、仁美さんは一度大きくため息を吐いた。
わたしは盗み聞きしていたのをバレないように、息を殺しながら布団に戻った。布団に戻ってから眠れるはずもなく、心臓はバクバクと嫌に重苦しく鼓動していた。
父親に虐待され、捨てられたという事実はわたしにとってどうでも良かった。寧ろ、捨ててくれたおかげで仁美さんと出会えたのだから、感謝すら覚える。
問題はその後。
もしかして、わたしは仁美さんが幸せになるための重荷になってるの?
それに、どうにかって、どうするつもりなの? わたしを捨てるつもり? 父親と同じように。
そんなはずはないと否定したい。いっそ、今からでも仁美さんを問いただしてしまいたい。でも、もしわたしの望む答えをくれなかったらと考えると、それも出来ない。
ただ、ドロドロとした思いを抱えて、何も見えないようにギュッと強く目をつぶった。
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「おはよう。今日はちゃんと起きれたんだ。偉い偉い」
次の日。起こされる前に台所に顔を出すと、仁美さんは昨日のことをおくびにも出さず、いつものニコニコとした朗らかな笑顔で挨拶してきた。
「まあ。そんな日もあるよ」
わたしは欠伸を噛み殺しながら、ぶっきらぼうに返す。
そもそも一睡もしていないのだから、早いも何も無い。
「どうしたの? 何か機嫌悪い?」
わたしの様子から察したのか、仁美さんは心配そうに顔を覗き込んできた。どうしたの? はこっちの台詞。夜中の電話は何だったの? と口から出そうになり、バツが悪くなって「別に」と顔を逸した。
「そっか」
振り返ってフライパンに向き直った仁美さんの背中を、わたしは睨みつける。
変わらずニコニコしてるけど、何を考えているんだろう。素知らぬ顔をしながら、内心は男のことを考えているんだろうか。今もわたしを捨てる算段を立てているのかもしれない。
心のなかで、嫌な想像が膨らんでいく。
そんなはずない。わたしは仁美さんを愛してるもの。仁美さんだって、同じようにわたしを愛してくれているに違いない。
……そうだ。
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