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1・中の人が燃えた!
強引に連れてこられただけの、興味も関心もゼロどころかマイナスかもしれない、人生初の2.5次元舞台。
会場までの道中、「つまらなすぎて途中で寝ちゃったらどうしよう」なんて失礼なことを、俺はひそかに思っちゃったりもしていた。
だけど――緞帳が上がり、まぶしいライトが役者たちを照らし、一期一会の舞台がはじまって。
そこに俺は見つけてしまった。
スポットライトを浴びてひときわ特別に、キラキラと輝く彼を。
俺の新しい『推し』を。
***
既にかなり暑い六月半ばの、金曜日の昼休み。
「…ぇ………ハッ、ハァァァァぁぁ??!!」
勤務先である不動産仲介店のスタッフルームに、俺の絶叫が響き渡る。
「うるせぇよ、宮田。客に聞こえんぞ。いきなりどうした?」
座っていた椅子をはね飛ばさん勢いで立ち上がった俺に、隣の席で冷やし中華を食っていた同僚の久保田が、迷惑かつ面倒臭さそうに聞いてきた。
「お、推しの中の人がっ、麻薬所持で――逮捕、された……」
俺は左手に持ったスマホの画面を凝視し、無意識に声をフェードアウトさせながら答えた。
『【速報】SEIRA容疑者を逮捕
合成麻薬MDMA所持の疑い 容疑を否認』
*
俺の座右の銘は、『ノー推しノーライフ』。
『推し』がいるからこそ世界は輝き、毎日仕事を頑張れる。
そんな俺の今の推しは、某アイドルソーシャルゲームキャラクターの『ユイカ』!
巨乳黒ギャルで超kawaii!
……のだが、ユイカの声帯を担当している声優SEIRAが本日、麻薬取締法違反で逮捕された。
逮捕されたのは『中の人』であるSEIRAであり、ユイカは捕まっていない。
悪いのは声帯担当者で、ユイカに非は一切ない。
分かっている。
分かっているが――冷めてしまった。
こんなにもすぐに心が離れてしまうなんて、ひどく薄情なファンだな、と自分でも思う。
でも、もうダメなのだ。
もう俺はユイカを、以前通りの熱量で応援できない。
頭では、ユイカの経歴はキレイなままと理解している。
しかし心が、推しと声優を切り離せない。
だって……アイドルゲームということで、キャラクターのユイカと同一視させるみたいに、SEIRAをアイドル売りしていたし。
だって……逮捕された場所とタイミングが、売り出し中の男性声優が住むマンションから出てきたところ、というのもダメージが大きいし。
ユイカは二次元の存在で、違法なことに手を染めた、三次元に生きるSEIRAではない。
ユイカは悪くない。ユイカは一ミリだって悪くない。
でも、でも――気持ちが戻らない。
ユイカのグッズは全買い、イベントカードもガチャカードも完凸するほど大好きだったのに……彼女をもう推せない。
つらい。とてもつらい。
俺の世界は闇に閉ざされた。
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