20・バカな俺は嘘をつく(後編)

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『まだ引退してないわけだし』という言葉は、少しだけ浮かれていた俺の思考を、一瞬で冷やした。 「じゃぁ風邪引く前に、さっさと用件を言っちゃうね。――考えが変わって、僕の気持ちに応えてくれる気には、まだなっていない?」 「えっと、あの、それは……」 俺は酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせた後、強く唇を噛み、足元のアスファルトを見た。 このままお互いにフェードアウトし、終わる可能性も高いんじゃないか? と、俺は考えていたのだが、侑弥くんにその気はまったくなかったようだ。 ガチ恋勢の俺的にはありがたいけれど、心には純粋で過激なファンの俺も同居しているから――困ってしまう。 「そっかぁ、まだダメかぁ。残念、出直さなきゃだね」 黙ってしまった俺を気遣うように、侑弥くんは極めて軽く、明るく言う。 「――っ、侑弥く……」 「あぁそうだ、真伍くんには誰よりも先に伝えておくね」 「はい?」 「僕ね、役者辞めた後は、海外のレストランへ修行に行こうと考えてる」 「か、海外?! ですかっ?!」 「うん。二年か三年くらい。そのためのツテも、もう確保してある」 フレンチの料理人になりたいんだから、フランスへ行くんですよね?――なんて、今そんなこと聞いている場合じゃないことを言いそうになる。 舞台の上どころか、日本から侑弥くんがいなくなるというお知らせは、俺の思考回路に火花を飛ばした。 「定職に就いて真面目に仕事をしている真伍くんに、一緒についてきてなんて言わないよ。だけど、待っていて欲しいなって。役者を辞めた僕は、君の『推し』ではなくなってしまうのだろうけど、僕のことを好きでいて欲しい」 何故かちょっと悲しそうな表情で、侑弥くんが俺を見据えて言う。 「つきあってないのに何言ってんだ、って感じだろうけど、僕のことを待ってて欲しい」 「――待ちません」 「え……」 目を見開く彼から顔をそらし、俺は乾いた唇を一舐めした後、出任せの嘘を言う。 「すみません。俺、年明けにお見合いすることになったんで、待てません。無理です」 「お見合いって……そんな、誰と?」 「言うわけないでしょう。――失礼しますっ」 震え声の侑弥くんを一瞥(いちべつ)もせず、俺は身体を反転させ、ダッシュで逃げた。 そのまま全速力で逃げて逃げて――自宅マンション前まで帰りついたところで、萌葱くんにLINE経由で電話をかける。 「――あっ、萌葱くん? 突然電話かけてごめんなさい。ちょっと急ぎで頼みがあって。えっとね、萌葱くんのお姉さんとお見合いしたいんだけど。年明けくらいに。ダメかな?」
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