1.THE MAGICIAN

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   2  午前中、眠兎(みんと)の部屋に来客があった。椅子に座り適当な本の文字をだらだらと目で追っていると、控えめなノックに次いで「開けてくれ」と硬質な声が響く。ドアを開けた先に立っていた十歌(とうた)の手には、食パン二枚と水の乗ったトレーがあった。 「持っていけと言われた」 「……どーぞ」  十歌(とうた)を室内へと通し、ドアを閉める。十歌(とうた)はベッドにトレーを置くと、その横に座った。眠兎(みんと)も椅子に座り直す。 「食べないよ、それ」  目線だけでトレーの中身を示す。 「薬とか入ってるんだろ。だから食べない」  警戒心を露わにする眠兎(みんと)に対し、十歌(とうた)は食パンの端をちぎって自分の口に放り込む。 「おいっ、……」  驚く眠兎(みんと)をよそに、十歌(とうた)は食パンを飲み込む。 「これには入っていない。だから安心していい」 「これに〝は〟?」 「普段の食事については保証しない。食パンに何か塗るなら別だが、そのままなら薬も入れようがない。本当は飲み物も……、野菜ジュースが入っていたのを捨てて、コップの中を綺麗に洗ってから水道水に入れ替えた。味気ないと思うが、済まない」 「………………」 「食べないなら、俺が」  食べる、と言いかけた十歌(とうた)の横から、食パンを手に取って口へと運ぶ。もぐもぐと咀嚼(そしゃく)して飲み込むと、胃のあたりが動く感覚の後、そこを中心に身体が温かくなる気がした。久し振りの吐く必要のない食事に、身体が栄養を欲していたのが分かる。 「本当、君ってお節介。そういう奴が流れ弾で死ぬんだぞ」 「それは……怒ってるのか?褒められてるのか……?」 「うるさい」  怒りながらも残りのパンを口へと運ぶ。十歌(とうた)が僅かに表情を緩めるのが分かった。 「食事、今までどうしてたんだ?」 「ここ暫くは吐いてた。先生達の前で食べないわけにもいかないし」 「吐いてたって……いつから」 「蒼一郎(そういちろう)と記憶が噛み合わないのに気付いてからだから……向こうの世界で言うところの、梅雨?の初めくらいから」 「お前、ひと月……いや、ふた月近くじゃないか」  驚く十歌(とうた)に、まあね、と返す。 「向こうの世界で食事してる記憶はあるし、懲罰室送りで多少は慣れてるから。役に立つとは思わなかったけど」  最後の一口を食べ終え、それより、と話を促す。 「今後の為に、お互い情報交換といこうじゃないか」  * 「君は、〝こども〟への昇格条件って何だか分かる?」  眠兎(みんと)はそう切り出す。十歌(とうた)が「分からない」と素直に答えると、小さく頷く。 「これは僕の推測だけど、一番の条件は〝自己を有しているかどうか〟だと思ってる。自分とそれ以外の区別がつくかどうか、固有の人格とか性格、特性みたいなのを持ってるかどうか……他にも色々あるんだろうけど、これは少なくとも、今いる〝こども〟全員に当てはまるだろ」 「確かに。……だからか。この世界の最初の記憶で、労力返せとか処分がどうのとか言われて蹴られたのは」 「あー。蹴られたんだ。先生達、容赦(ようしゃ)ないからなー」  懲罰室での地獄の鬼のような二人を思い浮かべる。情け容赦なく十歌(とうた)を蹴りあげる姿が容易に想像できた。よくもまあ、それで〝こども〟になれたものだ。 「まあ、それで先生達お望みの〝こども〟に昇格する訳だよ。その時、名前と何かひとつ、日野尾(ひのお)先生から贈られるんだ。僕ならこの眼鏡。蒼一郎(そういちろう)なら、いつも髪の端に青いピンしてるだろ?あれが贈られたもの」  具体例を出しながら、眠兎(みんと)はふと、十歌(とうた)に贈られたものが何なのか気になった。いつも何かを持ち歩いている訳でも、身につけている訳でもない。 「十歌(とうた)は?君だって名前以外に何か貰っているだろ?」  十歌(とうた)は首を振る。 「俺は、何も貰っていない」 「マジかよ」  十歌(とうた)が頷く。驚いた。本当に何も貰わなかったらしい。 「君、何で〝こども〟になれたんだ……?」 「さあ。蹴られていたら大規(おおき)研究員が観察したいと言い出して、所長から許可を貰っていた。所長はさっさとぶつ切りにしたかったらしいが、どうやら俺の悪運が勝ったらしい」  肩を(すく)める十歌。悪運、とは言い得て妙だった。彼にとって〝こども〟として迎え入れられたのは、幸運なのか不運なのか分からない。結果的に、少なくとも眠兎(みんと)にとっては幸運だったが。 「少なくとも、君にも素養はあると思われたんだろうな。ただ、君は色々とイレギュラーだ。〝こども〟への昇格の仕方もそう。一番僕達と違うのは、君には〝実験体〟としての意識がまるでない」  そうだろ?と問いかける。ややあって、十歌(とうた)は口を開いた。 「正直、突然知らない世界に放り込まれた気分だ。この研究施設といい、ろくでもない大人達といい、戸惑いの方が大きい」 「それ。その言い方」  十歌(とうた)の顔の辺りを指さす。思わず彼は背筋を伸ばした。 「根本的に違うんだよ。僕達は日野尾(ひのお)先生や大規(おおき)先生を、自分と切り離して考える事が難しい。どうしても〝自分を創った人〟って感覚が抜けないんだ。逆に十歌(とうた)はそう考える方が違和感あるだろ?」 「眠兎(みんと)の言う感覚は、親と子に近い感覚、という事か?」 「少し違うかな。例えるなら――そう。神と人間の感覚に近い。だから僕達は、先生達を慕うし、畏怖に近い感情を抱く事もある」 「…………お前も?」 「多少はね」  不本意ながら同意した。意外なものを見る目を向けた十歌(とうた)にやめろ、と手を振る。 「とにかく。それが僕達〝こども〟にとってのどうしようもない現実。どういう自己を有しているかで、違う役割も期待されてるんだろう。何を期待してるかまでは知らないけどね」  眠兎(みんと)はそこで話題を区切り、もう一つの話へと移る。 「それで……やっぱり、記憶っていじられてるんだ」  努めて平静に言葉にしたはずが、語尾が僅かに震える。十歌(とうた)眠兎(みんと)をじっと見て、それから少し(うつむ)いて頷いた。 「だよね」  胸の中にじわじわと込み上げてくるショック。改めて知った事実に、怒りとも哀しみともつかない不快感を覚える。 「小さなものなら、比較的簡単に塗り替えるのが可能だと言っていた。蒼一郎(そういちろう)の記憶は多少いじっている、と」 「あいつ、最近大人しいもんなぁ……」  呟く。怪訝(けげん)な顔の十歌(とうた)に気付き、ああ、と説明する。 「基本的な性格は変わってないよ。でも、ここに来たばかりの頃は時々暴れてたんだ。先生達を振り切って脱走しようとした事もあったんだよ」  〝こども〟としてここに来たばかりの頃の蒼一郎(そういちろう)を思い出す。普段は大人しい優等生が、別人のように暴れる姿。点滴が外れ、腕から出血するのも構わずに外へ出ようともがく姿。馬鹿だなあ、と冷めた目で見ていた自分。 「俺も、一度だけ見た事がある」 「ああ、なんだ。知ってたのか」  意外だった。暴れる蒼一郎(そういちろう)の姿は、眠兎(みんと)の記憶の片隅にある程度の事だったからだ。 「初めて会った日だ。俺を連れて、何処かへ逃げようとした。結局、大規(おおき)研究員に捕まって、それきりだったが……蒼一郎(そういちろう)の記憶から本棚が消えたのは、恐らくその時がきっかけだ」 「……まだ暫くは食べて吐くが安全だなぁ……」  はー……と深い溜息をつく。パンを消化中であろう胃のあたりが、文句を言うように動いた。 「所長は、〝物語の調整〟だと言っていた」 「物語、ね」 「あとは、君も違う世界の夢を見るんだろう?と。君、という事は、他にも夢を見る奴がいるんだと考えた。お前が賭けてくれなかったら、今も俺は一人で悩んでいたと思う」  十歌(とうた)の言葉に、眠兎(みんと)はにやりと笑う。 「ただでさえ不利なんだ。これだと思ったチャンスは掴むさ。実際、リターンはあったしね」  それから、十歌(とうた)の話した内容について思考を巡らせる。物語の調整。思い当たる節はあった。 「……日野尾(ひのお)先生は、僕達が夢の話をすることを嫌う。十歌(とうた)からすれば現実の世界。僕からすればもうひとつの世界。真白(ましろ)蒼一郎(そういちろう)も同じ世界の記憶を持っているかは分からない。特に興味もなかったし。でも多分、先生は〝こども〟から夢の世界そのものを消したいと思ってる」  唇のあたりを爪で引っ掻きながら、眠兎(みんと)は更に考える。夢の記憶を消したいならば、初めに改ざんされるべきは自分ではないのか。何故自分よりも蒼一郎(そういちろう)が優先されたのか。蒼一郎(そういちろう)が暴れていたのも夢に起因(きいん)することだったのか。 「多分、先生は、此処が僕達にとって唯一の世界であって欲しいんだ」  ぽつりと自分の口から零れた言葉が、確かかどうかは分からない。続く言葉が見つからず、眠兎(みんと)は口を(つぐ)む。十歌(とうた)も返す言葉が見つからなかったのか、互いの間に沈黙が流れる。 「……俺は、この世界を変えたいと思っている。向こうの世界でお前にも話したが、お前や他の皆が利用されるのを黙って見ていたくはない。せめて、皆の手助けになる事がしたい」  硬質な声。真っ直ぐで曇りのない、決意と覚悟を宿した声。強い意志を宿した声。 「眠兎(みんと)。お前はどうしたい?」  十歌(とうた)の声が、眠兎(みんと)を射抜く。 「僕は僕自身を失いたくない」  眠兎(みんと)はじっと十歌(とうた)を見据える。 「〝こども〟なんて呼ぶけどさ、結局は実験動物がペットになったようなものなんだよ。それでも、僕の意思は僕のものだ。僕が何をするかも、どっちの世界を楽しむかも、どんな記憶を大事にするかも僕が決める。僕がひとつの物語だとするなら――そこから全てを調整されたら、僕である意味がない」  ぐっと拳を握る。掌が熱い。自分が此処に確かにいることの証明。 「僕は君を利用するぞ」 「すればいい。俺も自分の我儘(わがまま)みたいなものなんだ。それが互いの目的に適うなら、協力しあった方がいいに決まってる」  互いに、拳をこつんと合わせる。 「まずは日記。できる限りメモは取るようにしよう。もし何か忘れてしまっても思い出せるように」 「そうだな。あとは――単独行動もできる限り避けよう。突発的に危害を加えられる事を減らせる」 「……善処(ぜんしょ)はする」  苦々しい思いで答える。口角を上げた十歌(とうた)に、眠兎(みんと)もまた不敵な笑みを浮かべる。 「同盟、成立だ」
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