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3
十歌と眠兎が同盟を結んだ丁度その頃。
真白はというと、蒼一郎と共に医務室にいた。蒼一郎の点滴を交換するためだ。簡易ベッドに仰向けになる蒼一郎の横で、処置の様子を眺めている。脚をパタパタと動かす度、パイプ椅子が軋んだ音を立てた。
「よし。もう少し安静にしててね。僕も此処に居るから」
慣れた手つきで処置を終え、大規は手元のファイルから書類を取り出す。そこに何かを書き込み、再びファイルへと戻した。真白はその様子を目で追う。
「体調に変わりはないかな?」
「はい。最近は……。あ、ここ数日は特に体調がいい気がします」
「それなら良かった。でも、季節の変わり目だからね。無理はしないように」
蒼一郎と大規のやり取りを見つつ、真白はぶんぶんと頷く。
「天気がいーと元気でるもんな!」
「真白ちゃんも。外で遊ぶのに夢中になって怪我しないようにね?」
大規にたしなめられ、はーい! と手を挙げた。勢いで長い髪が揺れる。
「でもさ、このまま晴れの日が続いて、そーいちろうがもっと元気になったら、てんてき外れるの早くなんねーかな?」
瞳を輝かせ、大規を見上げる。
「うーん、そうだね」
見上げた先で、大規は先程のファイルを開き、いくつかの書類に目を通している。大規がいつも持ち歩く黒いファイル。何が書いてあるのかは知らないが、きっととても大切な書類が入っているのだろうと真白は思う。暫くのファイルとのにらめっこの後、大規は涼やかな目元を和らげた。
「うん。このままの状態が続いたら、夏の間に点滴を外せるかも。注射やお薬でも大丈夫になるかもしれない」
「それって……」
「やったなそーいちろう!!」
蒼一郎の言葉を待たず、真白は勢いよく立ち上がり、蒼一郎に飛びついた。点滴パックが大きく揺れる。
「ま、真白ちゃん……!」
慌てる蒼一郎の胸元にぐりぐりと頭をこすりつける。髪の毛が乱れるのもお構い無しの真白を見兼ねたのか、大規が彼女の腕を引っ張った。
「真白ちゃん。点滴気を付けて」
大規の声にはっと我に返る。嬉しすぎてつい勢いに任せてしまった。
「ご、ごめん! そーいちろう。おーきせんせーも」
「……まあ、気持ちは分かるけど、ね?」
苦笑する大規。てへへ、と笑う。
「おれさ、ずっとそーいちろうと外で遊びたかったんだ。サッカーしたり、たんけんごっこしたりさ。おひさまのしたで思いっきり遊ぶの、すげー楽しいんだぜ! きっと、そーいちろうも好きになると思ったんだ。な、せんせー!」
「頑張った甲斐がありました。一番頑張ったのは、蒼一郎くんだけどね」
「ありがとう、ございます」
蒼一郎は照れくさそうにはにかむ。
「そうだ。せんせー、カイは元気?」
「気になる?」
「なる!」
即答すると、大規と蒼一郎は顔を見合せくすっと笑った。
梅雨の終わりに、真白とカイが会っていたことがばれてしまった後。
結論から言えば、真白はお咎めなしとなった。日野尾から「出来れば内緒話はやめて欲しいんだけどなぁ」と言われたものの、それ以上言及されることはなかった。日野尾が隠し事や嘘を嫌う事は真白にもよく分かっている。果たして一体どんな雷が落ちるかと怯えきっていた真白はほっと胸をなで下ろしたのだった。
ただし、次にカイと会えるようになるまで、少し時間がかかると言われた。聞けばカイは身体が弱く、特に雨の間や季節の変わり目には体調を崩しやすいからだという。病気ひとつした事のない真白からすれば、カイや蒼一郎は大変だなあとよく思う。どこか繊細で壊れやすい印象を抱く。
それからというもの、真白は一日に一回はカイの様子を尋ねていた。会いたくても会えないもどかしさ。様子を知ることができれば、その気持ちも少しは抑えることができた。
「カイくんは今日も元気です。朝、僕が会った時は、何かの本を読んでいたよ。その時にカイくんにも真白ちゃんは元気?って聞かれたなぁ」
「ほんと!?」
ぱあっと喜びに満ちた表情を浮かべ、真白は甘えるように大規に抱きつく。
「なーなーせんせー、もうすぐ会えるようになる?」
「そうだね。もう少し季節が安定したら、所長も会わせてくれるんじゃないかな」
「あんてーするってどれくらい?」
「そうだなぁ。晴れた日が沢山続くようになったらかな」
「それって明日?」
「もうちょっと先」
なーがーいー! と不満気に頭を押し付ける真白の背を、大規があやす様に撫でる。と、蒼一郎が大規を呼んだ。大規の胸に押し付けていた顔を蒼一郎へと向ける。
「僕も、……その、カイくんに会ってみたいです」
「蒼一郎くんも?」
「駄目、ですか……?」
蒼一郎の言葉じりが段々と小さくなる。蒼一郎の気持ちを後押しするように、真白も口を開いた。
「おれ、おれ、みんなで会いたい! そーいちろうも、みんとも、とーたも、しらゆきも!」
せかすように大規にせがむ。うーん、と言いながら、大規は思案するように天井を見上げる。その両腕を掴み、焦れったそうに揺する。
「せんせー、だめ?」
じっと大規の顔を見上げる。ふたりのこどもの視線を浴びた大規は、やがて降参したように両手を上げた。
「……分かった。所長に相談してみるよ」
わーい! と歓声を上げ、真白は再び大規に抱きつく。ベッドの蒼一郎がすまなそうに大規を見上げた。
「わがまま言ってごめんなさい」
「ううん。蒼一郎くんやカイくんの調子もあるからすぐには難しいけど。所長も許してくれるんじゃないかな。それに、皆で仲良くした方が楽しいでしょう?」
「だよなー!」
真白も頷き、大規をぺしぺしと叩く。
「いつ会える? 明日?」
「真白ちゃん。楽しみな気持ちは分かるけど、もうちょっと我慢して」
真白は再び「なーがーいー」と声を上げる。それでも全身から喜びをあふれさせ、大規のみぞおちの辺りへと頬を擦り寄せた。
「おれ、おーきせんせー大好き!」
「はいはい。有難う」
ぽんぽん、と優しく背を叩かれ、真白は大規から身体を離す。
「さて、そろそろ起き上がって大丈夫だよ。僕も他の仕事に移らないと」
ゆっくりね、と言われ、蒼一郎が身体を起こす。前髪の端に留めたピンが髪の動きに合わせて揺れた。プラスチック製の青いピンは、この時期の空の色に似ている。夏の深い空の欠片。それを身につけた蒼一郎が、青空の下を走る様子を想像する。その日が早く来ればいいと思う。
「大丈夫?」
「はい」
何度か瞬きをした蒼一郎が立ち上がるのを待ち、彼に付き添う。三人で廊下に出ると、大規は医務室に鍵をかけ、じゃあねと言って立ち去った。白い白衣の背中が段々と遠のいていく。
「よかったな、そーいちろう」
「……うん」
隣に立つ蒼一郎は、大規の背をぼんやりと見つめている。
「早く元気にならないと」
「おー。でも、ムリしちゃダメだそ」
「うん……」
どこかぼんやりとしたままの蒼一郎に、今がカンジンなんだぞ、と少し大人びた口調で注意し、真白は彼の手を引く。
歩き出した真白の耳に、遠くから小さく蝉の鳴き声が聞こえた気がした。
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