世界の断片・三

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世界の断片・三

 数多くのデータが必要だった。差異を調べる事は重要な事項だった。それらは全て人類の為に役立てられるからだ。そしてそれを、研究者達は信じてやまなかった。  特別な個体のデータは特に重要視された。「全ては人類の為」だと言ってしまえばどんな事でも許された。ここはそういう場所だった。世間では到底容認されない非倫理的、非道徳的な事であっても。むしろ、それらを研究するためにこの場所は存在した。それぞれがそれぞれの役割を受けいれた。繰り返すようだが、ここはそういう場所、なのだ。  何が起ころうと、それを受けいれる。悲劇も喜劇も。不幸も幸福も。役割を担うということは、その役割に付随(ふずい)する全てを受けいれる事を意味していた。それでも、一度はそれを覚悟した者でも、研究施設を去る者は多かった。去ったところで、一度でも研究に携わった以上、先の人生に光の当たる道は絶たれてしまっているのだが。それでもここよりはマシだと彼等は吐き捨てるように言った。  不要になった個体はその筋の業者が回収した。研究者達は自己の欲求を満たすことには積極的だったが、実験体の生命に最後まで責任を負う事には消極的だった。「人のかたちをした生命体」の最終的な処理は可哀想でできない、という話だ。  随分と身勝手な話であるが、人間という生き物には往々(おうおう)にしてある事である。 「あの個体、死んじゃった?」  その言葉に、一瞬、返答に詰まる。 「……そうだよね。でも、三日も耐えたのは偉かったよね。あんなに苦しそうだったのに」  静かな声は、せめて死んだ相手を肯定しようと務めているようだった。強化ガラスを隔て、助けを求めてガラスをひっきりなしに叩き続け、爪のはげた指で身体を掻きむしり、ついには奇声を上げながら死んでいった個体。その一部始終を声の主も見ていた。正視に耐えない個体の様子に、部屋にいた多くの研究者達は目を背けた。最後まで顔色一つ変えずにじっと見つめていたのは声の主だけだ。まるでそれが自分に課せられた義務であるかのように。  いや、声の主はその義務を自分に課せたのだろう。生きている時間だけでなく、死に様までもを記憶する事を。恐らくそれが声の主なりの、実験体に対するせめてもの礼儀だったのだ。 「そんな顔しないで。平気だから」  緩やかな拒絶。踏み込めば互いに傷付く。だから、それ以上は何も言わない。何も言えない。  何が起こっても、それを受けいれる。この施設での、絶対的な暗黙のルール。  声の主は助けを求めないのではない。  助けを求めることすら、諦めてしまったのだ。
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