故郷とギター

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故郷とギター

 彼女は窓際にギターケースを立て掛け、身体を小さくして眠っていた。いや正確には目を瞑り、眠ろうと心掛けていた。  睡魔なのか疲労なのか分からないものに身体と精神を蝕まれる。自分の身体なのに知らない部位から腐り、落ちていく気がする。  結局眠れず、首都から一時間、現実と夢の間をゆらゆらと泳いだ。  まだぜんぜん、とおい。  故郷は冬には雪がたくさん降り積もり、夏のアスファルトは暑かった。海辺にアイス売りがやってきて、近所の子どもたちが集まる。彼女はレモンのアイスキャンディが好きだった。  きっと、もう食べられないだろう。  列車は小さく揺れた。彼女と同じようにギターも揺れた。その揺れの数だけ、罪悪と懺悔と解呪が降る。呪いなんて無かった。でも、この気持ちに呪い以外の言葉を当てはめきれない。  彼女は窓の外を見た。田園と森が広がっている。近くを通る川を渡れば、街がひとつ見える。  主要都市駅で列車が止まった。彼女とギターの揺れも無くなり、同じように座っていた周りの乗客たちが立ち上がり出て行く。  まだ、ぜんぜんとおい。  出て行く人間が止めば、入ってくる人間がある。ぎしりと彼女の斜向かいに男が座った。彼女と然程歳は離れていないように見える青年だった。  彼は窓際の席を窺ってから、ギターケースへと視線を移した。 「ギターを弾くのか?」  躊躇なく尋ねる。微睡む彼女には目もくれず。  彼女は目を開いた。 「……それが、なにか」  彼女もまた、彼には目もくれず答える。 「一人で? バンドを組んでいる? 良い話があるんだ」 「……バンドは解散した。付き合っていたベースの女とも別れた。私は一人故郷に帰るところですが、なにか」  漸く顔を見上げた。猫科の獣のような瞳の色に、彼も漸く彼女を見た。 「故郷へ帰って、何をするんだ?」 「することなんて何もありはしないでしょうね。結婚する相手もいないだろうし、音楽ばっかりやってきた私に食べていけるような職は何もない。パソコンと向き合ってお茶を淹れる同級生を見下していた罰ですかね。実家に帰ったって、ただの穀潰しだ」  微睡んでいた獣が牙をむくが、彼は気にせず言葉を返す。列車はいつの間にか発車し、揺れ始めていた。 「やってきたことは無駄にはならない」 「そんなのは幻想ですよ」 「お前はここにいるじゃないか」  その言葉に彼女は嘲笑った。  まだ、ぜんぜん、とおい。 「私の故郷はこの列車の終着駅なんですよ。冬は雪が沢山降って、全てを覆い奪っていく場所です。私はそこから出て、幻想と付き合ってきた。そして今から私はそこへ帰る。でも帰れないんですよ、半分しか運賃を持ってないもんで。笑えますよね、幻想は金も夢も全て奪っていった。でも、私は職も何もない故郷にすら帰れない」  初めてギターケースへ触れた。まるで宝物のような、優しい触れ方だった。彼はそれに目を細める。  彼女はぽつりと零す。 「途中の街でこれを売ります。私の夢なんかよりもずっと金になる」  彼は足を組んで膝の上で頬杖をついた。 「一石二鳥の話がある」  二本の指を立てる。まずは人差し指を動かし、彼女の瞳を覗いた。 「俺は次の街で降りる。君も一緒にそこで降りる」 「良い中古楽器屋でも知ってますか?」 「いや、君はそこで音楽をやるんだ、俺と」  彼女はギターから手を離す。彼は中指を動かした。 「そうすれば、君の夢は潰えないし、ギターを手放さなくても良い。どうだ、のるか?」  車窓は変わりゆく。  世界は、変わっているか?  なあ、お前の世界はどうなんだ?  目を開く。目の前に広がるその光景に、彼女は小さく笑みを零した。 「いや本当にさ」  足元に置いたペットボトルを拾い上げながら喋る。後ろで汗を拭いている彼が彼女を見た。 「あの時あんたに声をかけられてなければ、私は故郷に帰って死ぬつもりだった」  前の方にいた常連の客に「嘘つけ!」と笑われる。それに会場がどよめくように笑った。  後ろから彼が言葉を発する。 「いや本当だって」 「確かにこいつは嘘ばっかり言う」 「ちょっと」 「でもあの時は、そうだな。死にそうな目をしてた」  彼は笑いながら言った。彼女もまた笑う。  笑い事で良いのだ。過去の話なのだから。 「やってたバンドが解散して恋人と別れて、私は人生のどん底にいた。そこからまた、こんなとこまで来た」  彼女はギターを持ち直す。  この街で一番大きなライブ会場に、観客が満員御礼だ。夢みたいな話だと彼女は思う。 「またこのギターを弾いてる」  ギターを鳴らす。良い音を出してくれる。 「また音楽をやってる」  振り返り、彼を見た。 「これからも、どうぞよろしく」  肩を竦めたのに答えるように、曲を始める。  そうだ、これからも。  未だ、全然、遠い場所へ。 20230712おわり。
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