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理央の横で衣擦れの音がした。横に視線を戻す、静はワイシャツ一枚を羽織っただけの姿のまま、理央の方へ身体を傾けて頬杖をしていた。それだけで彫刻みたいに様になる。
「落ち込むなんて、とんでもない。むしろ楽しかったよ。ここのキャストはみんな、きみのように素晴らしい子ばかりなのかな?」
「あはは。素晴らしいって、俺なんにもしてないよ。むしろ元カレさんとはセックスしてて楽しくなかったの? 相手が下手だと興ざめ……とか?」
理央が恐る恐る相手の表情を伺うと、静はゆるく頭を振った。
「いいや。一方的に相手を追い立ててしまったのは間違いない。セックスが双方で楽しむものだと失念していたのは、私のほうだったのかもしれないな」
静が上体を起こした。それに合わせて理央も起き上がると、相手の長い指がまた頬に添えられてひくりと身体が反応してしまう。
さっきまでこのベッドの上で、彼と指を絡ませ合いながら、愛撫されていた。
もし静に抱かれて最後まで繋がったら、いったいどうなっていたのだろう──。
「私たちは、おそらく相性がいいのだろう。それを抜きにしても、やはりプロに任せて正解だった。また機会があったら指名させてもらおう」
プロ、という単語に、舞い上がっていた理央の心が一気に沈み込んだ。自分がデリヘルで、ウリ専で、静とはただのビジネス相手だということを思い出す。
理央はたまらず、静の指から逃れるように腰を引いた。
「いやいや、そこはデリヘル使わなくてもいいように頑張ろうよ。また新しい出会いがあるかもしれないじゃん。っていうか、絶対あるよ!」
「そう言ってくれるなんて嬉しいね。そうだな、では……」
とびきりの色気を放っていた静が、ほんの一瞬、今までのアルカイックなものとは違った素朴な微笑を含ませる。
「もしまたフラれてしまった時には、私の傷心をきみが癒やしてくれるだろうか?」
静がその時浮かべた表情は、今までの接待じみたものとは違った。
(あれ。静さんって、本当はふつーに笑えるんだ)
初めて心の内を晒してくれたのだろうか。だとしたら……。
理央の胸がずくんとうずく。
(この人は、俺のセックスを心から悦んでくれたのかな……?)
忘れていたはずの過去が一瞬、固い扉を開けて、隙間から漏れ出てきた。
理央はベッドから飛び上がり、着ていたインナーの胸をぎゅっと握りしめ、慌てて心に蓋をして閉じ込めた。
まさか、今のは社交辞令だ。できた大人の対応だ。
「お、俺でよければ、ぜひ」
雑談とともに着替えを済ませると、利用時間が終了した。理央は支度の間にキャストとしての顔を取り戻し、戸口に立って静の見送りを受けた。
「じゃあ」
去りぎわ、ふわりと理央の身体が抱き込まれた。気づけば、静に優しく抱きしめられている。
「今日はありがとう」
「え……っ、あの……」
「すまない。かわいかったから、つい」
「あっ、あ……ご利用、ありがとうございました!」
理央はまともに静の顔を見られないまま、するりと相手の腕を抜け出して部屋を飛び出した。
「気をつけて帰って」
低くまろやかな声が、閉まるドアの隙間から漏れた。
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