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七月の熱のような日差しが、ビル群の磨き上げられた窓に反射して眩しい。薄手の夏用ジャケットを着て対策をしているが、屋外に突っ立っていてはすぐに日焼けしそうだ。
林立する建物の一つ、待ち合わせのホテルがあるビルを見上げながら、奥寺理央は思わず目を細めた。
「高っ……」
高い、というのはビルの高度だけではなく値段も然り。ホテルの系列である『マチバグループ』の名は、学に自信のない理央でも聞いたことがあるくらいだ。たしか、高級旅館や地所をいくつも擁している有名なグループ企業だったか。
「会ったこともないウリ専を相手に高級ホテルを取るなんて、一体どんな客だ……?」
理央が所属するデリバリーヘルスは、少人数で経営するゲイ向けの風俗店だ。個々に合わせた自由度の高いプレイが売りだが、決して格式高いデリヘルというわけではない。
相場が不釣り合いなホテルを前にして、期待と不安が胸に広がる。だが今回の仕事は社長から直々に指名を受けたため、他のキャストに代わってもらうこともできそうにない。
理央はここへ来る前、事務所で社長と交わした会話を思い出した。
『初めてのお客なんだけど、キャストの指名をしなかったみたいだから、あなたにバッチリお願いするわ。リオちゃんは指名率もリピート率も高いから、どんな相手でも大丈夫でしょう!』
『えへへ、そうですかねぇ』
『んもう! そういう照れ隠しが男心をくすぐるのよね!』
理央が頭を掻くと、社長は身体をくねらせながら悶えた。
『リオちゃんは抱きたくなる細っこい腰がいいの。背丈も高めだし、茶髪でもチャラくならない爽やかな面持ちがいいわ。ぱっちりおめめに、長いまつげに──』
『それにリオって、まだ二十三歳っしょ? しかも、客を取り始めて一年しか経ってないのにな』
二人の会話に先輩キャストが割り込んできた。
『普段からどんだけ男を誘惑してたらそこまで人気になるわけ?』
社長から目をかけられている腹いせか、売上好成績を叩き出している妬みか、キャストの中には、理央に何かと突っかかってくる同輩や先輩が多い。おそらく理央の容姿もそれを後押ししているのだろう。
理央は男性にしては細身だが決して華奢というわけではなく、背は一般男性の平均以上ある。目鼻はくっきりしており、かといって安っぽい派手さはなく、明るく笑った時にだけふわりと花が咲いたように表情が華やぐ。男性の特長を残しながら相手の庇護欲を掻き立てる理央は、ゲイの客から人気だ。
だが、キャストたちが理央をいびるのは容姿についてだけではなかった。
『さっすが。やっぱカメレオン違うなぁ?』
『んもう、やめなさいよアンタ!』
カメレオン。
その単語を聞くと、いつも心臓がじくじくとした痛みを持つ。
だが相手に傷ついていることを悟られたくない理央は、そのたびに心を隠し、顔にへらりとした笑みを貼り付けるのだった。
『……そ。俺はね、どんな男の人でも悦ばせられるんだよ?』
(──そうだ。カメレオンだの誘惑だのって言われるのは、今に始まったことじゃない。とにかく目の前のことに集中しなきゃ)
理央は先刻の会話を脳内から追い払い、勇んでホテルのエントランスをくぐった。
先方がすでに二名分のチェックインを済ませているはずなので、エレベーターに乗って宿泊フロアに入り、部屋の前に立つ。
インターホンを押してしばらくするとドアがゆっくりと開き、客と思しき男が戸口に出てきた。
その姿を見上げた理央は、思わずその場でぎくりとたじろぐ。
黒い短髪に、まつ毛豊かな切れ目と、面長の顔。恐ろしいほどの美形だ。背は理央よりもさらに高い。
着ているベストスーツが肩幅や腰、腿にぴったりとマッチしていてとても映える。ジャケットを脱いでいるせいか、フォーマルかつ洒脱な雰囲気により一層の色気が加えられていた。
客商売として様々な男を見てきたが、相手の年齢を読み取れない。時代を超えた名優にばったり出くわしたらこんな気分になるのだろうか。
「……リオさん、かな?」
低くまろやかな男の声が、理央を現実に引き戻す。いつもならこちらから名乗って挨拶をするはずが、すっかり男に見惚れてしまっていた。
「あっ、すみません、ぼうっとしちゃって。『キープタイム』のリオです。静さん……ですよね?」
「ええ」
男──静は、半開きだったドアを全開にしながら、口元を引き締めて控えめに微笑んだ。
「よかった。かわいい子が来てくれた」
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