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神様からのプレゼント
天気なら晴れを予約したい。
こんな雨を予約したつもりはなかった。
僕は空を見上げて呟いた。
いらいらするのは雨のせいだ。
就職試験二次試験後の天気の急変。スーツが濡れて靴までもびたびた。
恋人の優花の部屋に雨宿りに寄らせてもらおうとしたら、忙しい、と断られた。
恋人の僕が濡れて困っているのにひどい彼女だ。
今度あったら文句を言ってやる。
ザーザーと降る雨が僕の気持ちをざわざわとさせる。
濡れながら帰宅したとたん。
手元のスマホ画面にはいわゆるお祈りメール。
こんなメールを予約したわけでもなかったのに。
優花からのメールもきて、もう合わせることが苦痛、と書いてあった。
合わせてもらっているつもりも、合わせさせているつもりもなかったのに。
うまくいかない就活も恋愛も、雨のせいにしたくなる。
*
8月の始めに祖母の家に誘われた。
母夫婦と母の姉夫婦がそろって旅行にいくそうで。
避暑もかねて5日ほど僕が留守番にきてくれるとありがたい、と要請があった。
母方の実家。祖母はすでに他界している。
そこに母の姉夫婦が住んでいる。
姉夫婦の一人娘の──つまり僕の従姉妹の美彌も一緒に住んでいる。
5歳年上の美彌は明るくてぼんやりしていて、つかみどころがない自由なデザイナー。
なのに、僕がいま難儀している就活をふわりと軽々こなして新卒からずっと同じ会社で働いて、この春、フリーになった。どこでもできる仕事だから、と実家にもどっている。
美彌でもできた就活が僕にできないかもしれないと思うと悔しくてたまらなかった。
しかし美彌は家事が壊滅的にだめである。
そこで、僕だ。
美彌のお守りをしろ、と暗に言われていると感じる。
27歳にもなっている美彌の『面倒をみる』とはどうかと思うけれど。
うまくいかない就活からも恋愛からも、少し離れたくて、僕は祖母の家に行くことを了承した。
*
祖母の家(すでに伯母夫婦の家だが)は田畑に囲まれている。
隣の家、というと100メートル離れているし、祖母の家自体が600坪からの敷地に建っていて。ここに美彌を一人、丸一日玄関に鍵もかけないような性格の娘をおいていくなんて。おばさんたちの不安な気持ちもわからないではない。
僕は終点の一つ前のバス停までバスに乗り、そこで降りた。
バス停からは歩いて10分。
暑い。
パタパタと手で団扇をつくって風をおくる。
暑いだけの風。
祖母の家の塀がみえた。
天気は快晴。
突き抜けるような青い空がまぶしい。
がらがらっと玄関の引き戸をひいた。
案の定、鍵などかかっていなかった。
*
玄関で靴をそろえ、美彌の靴もそろえ、ぱたぱたと廊下を進む。
何度も来ている母の実家だ。勝手知ったるなんとやらでリビングに入った。
入ったところで
「ぎゃっ」
思わず声がでた。
床にぺったりと黒髪が──美彌が寝こけていた。
びっくりした。びっくりしたびっくりした。
「せめてソファに寝てよ」
どきどきする胸をなでおろして呟く。
その声で美彌がむくりと起き上がった。床にぺたんと座った格好だ。
「んんん?」
寝ぼけている。
「こら、美彌」
「んんんんん?」
ごしごしと目をこすって僕と目を合わす。
誰だこれ? という視線。
これはきっと忘れていたに違いない。
僕という従兄弟の存在自体を。
*
「美彌、今日は何が食べたいの?」
「ん、白米」
「はくまい?」
聞き返すと、美彌は大きく頷いた。
「ここの田んぼのお米でおにぎりと、とうもろこしとナスときゅうり」
「素材ばっかだね」
「おいしいもん」
調理方法を聞いたつもりだったのだけれど。
まあいいか。
「美彌、野菜とりにいこう」
いつまでも夢の中にいるような美彌に声をかけた。
のそりと立ち上がる。
ふらふらしているのでローテーブルにぶつかって転びそうになる。
「あぶないなあ」
「んんん」
僕は美彌の手をとってリビングを出た。
*
庭にある畑でとうもろこしを採る。
ポキリと折って4本。
ナスもほどよく育っている。パチンとハサミで切って採る。
採れたてのナスは本当につやつやでみずみずしい。
濃い黒紫がいいんだよな。
きゅうりも大きくなっていて。
とげとげが新鮮。
その時小さな虫が腕にのぼってきた。僕は、げげ、と声をあげた。
美彌は採った野菜をいれた籠をかかえていたけれど、僕の腕についた虫をすすっと払ってくれた。よかった。
あとは、と。
大きなトマトに手を伸ばす。
「トマトはいいの。いらない」
ぷくうと頬を膨らませて美彌が抵抗した。
そうされると食べさせたくなるではないか。
僕はプチトマトのほうをもいでビニル袋にいれ美彌にもたせた。
うげええ、と可愛くない声をだす。
確かにそれは、プチとはいいがたいほど大きく育っていたけれど。
*
暑いから全部電子レンジ。
料理が得意でも好きでもないと自覚している。
だからとにかくラクに終わらせたいだけの電子レンジ。
僕はナスを洗ってヘタを切り落とした。
おしりのほうに十字をいれてふわりとラップに包む。
皿にのせて3分くらいレンジに放り込む。ひっくり返してもう2分。皮を剥いてぽん酢と胡麻で合える。
「美彌」
声をかけてとうもろこしの皮をむかせる。
虫がところどころ喰っている。
僕の目が虫喰いのところを見つめていることに美彌が気づいたようで。
「虫が食べたくなるくらいみりょくてきなのよー」
妙な拍子をつけて歌うように呟いた。
心の中を見透かされて僕は口を噤んだ。
ちょっと目をつむればいいのだ。
無農薬なんだから。
形のくずれたもの、虫が喰ったもの。
少し世間に受け入れられないもの。
そんなことは気にしないで。
ちょっと目をつむればいいのだ。
しかしそういうことに目をつむれない自分に気づく。
虫がいやだ。
雨に濡れるのがいやだ。
就職は少しでも名の知れたところへ。
彼女は優しくて可愛くて僕をいつもたててくれて。
僕がそういうことにこだわるから、『僕自身』にも目をつむってもらえないのかもしれない
周囲というのは自分が生きてきたとおりになるのだと感じる。
誰かのせいだと言ってきたから、逆の立場になって、おまえのせいだ、と言われてるような気がしてくる。
*
「美彌はさ、就活がんばったの?」
電子レンジで調理したとうもろこしをむしゃむしゃと頬張る美彌の横顔にきいてみる。
「んんんん?」
口の中をつぶつぶでいっぱいにして美彌がこちらを向いた。
んっんっんっ
と咀嚼をし、やっと口をあけられるくらいになったらしい。
「ええっど、あどね、がんばった。よ」
「飲み込んで」
「ん」
ごくんと水を飲んで、美彌は口の中を空にした。
「がんばったよ。いちばんがんばった。今まででいちばん」
「だろうねえ」
「あたし、デザインでしょ? 書類をつくるとかはちょっと苦手なことも多いけど、まわりのひとがね、たすけてくれた。就活の時の段取りとか提出物とかもそう。すごくすごく助けてもらってスケジュールも確認いっぱいしてくれて。で、ありがとうってすごくすごく言った」
すごくすごく、か。
僕は反芻してみる。
すごくすごくありがとうって言った。
助けてもらった。
「今もね、その時の人たち優しい。それで頑張れる。あんまり伝えにくいけど、デザインにして見せてる。伝わると、うれしい」
伝わると、嬉しい、か。
そういえば。優花が喜ぶ顔なんて、就活はじまってこのかた見たことなかったな。
就活スケジュールで僕の方を優先してもらうこととか、会えなくてもLINEするとか、そういうの全部。僕からじゃなかった。優花から提案してくれて。当たり前のように受け取るだけで。
ああ。そうか。優花を喜ばせることなんてしてあげてなかった。してもらうばかりだった。
優しくしてあげていないのに、優しくしてほしいとか。
図々しいのは僕だ。
つたわると、うれしい。
そんな当たり前のことに気づいていなかったこんな僕は、本当におわってる。
ふうううう
大きくため息をつくと、美彌が首をかしげた。
「どしたの? 就活うまくいってないの?」
「ついでに彼女にふられたし」
自棄になって呟いた僕に、美彌が笑った。
メインの塩むすびを手に持ちながら。
「そうなの? じゃあさ、わたしならずっと白米、食べてあげるよ? いつでもわたしのお世話して」
「なんだよ、それ」
「だってさっき手つないでくれたのうれしかったから」
「そんだけかよ」
「じゅうぶんじゅうぶんなのよー」
プチトマトとは言えない大きさのプチトマトを半分に切ってやって美彌の口に詰め込んでやる。口をあけずに抵抗をみせたけれど鼻をつまんだら口が開いた。
「ひど」
涙目の美彌がもぐもぐごくんとトマトをのみこんで、じとっとにらんできたけれど。
「これはプレゼント。畑の神様からのプレゼントだよ。おいしい実りに感謝しなさい」
そう続けると、美彌は黙り込んだ。
しばらくするとはっと目を輝かせスケッチブックをもってきて僕の隣で何か書き始めた。
赤い色鉛筆。みどり。黄色。
にやりと笑ってどうだ、と言わんばかりにスケッチブックをみせてくれた。
「ぷれぜんと。お守り。神様からのプレゼントなのよー」
びりりと一枚破り、そのトマトの絵をぐいと僕の胸に押しつけた。
*
美彌の絵を鞄に忍ばせてのぞんだ就活で、僕は内定をもらった。
トマトの赤がみどりが、ヘタのまわりの黄の色が。好きな色だと思った。
「美彌、ありがと」
「んん? どう、いたしまして」
内定を伝えに再び祖母の家に行った。
お守りのように『神様からのプレゼント』の絵を持っていることは秘密だけれど。
よくわかってはいない様子の美彌の頭をポンポンとたたくと、美彌は嬉しそうにわらった。
つたえること、大切だってよくわかる。
この笑顔をみると。
その日描いていたひまわりの絵をもらって、僕は優花に連絡をとってみた。
僕に合わせてくれていたことに感謝して。
優花は、遅かったね、と言った。
次の恋をするのなら、きっともっと嬉しい気持ちを伝えられる。
相手のせいにはしないで済むようにしていたい。
「これからも、何かの時には神様のプレゼント、描いてよ」
「んんん? いい、よ」
美彌のきょとんとした顔が案外可愛くてどきっとした。
ただの従姉妹。
年上の従姉妹なのに。
「これからもよろしく」
そう伝えると、ひまわりみたいな笑顔になって美彌は頷いた。
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