第一章 燻る鼓動(ニコロ)

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9 「みちる、おいで。お湯がではじめたよ」 みちるは、ニコロの声に我に返り彼を仰ぐ。 「……ニコロ」 「さあ、立って。これ以上余計な世話を焼かさないで!」 物憂げにみちるがニコロを呼ぶと、腰にタオルを巻きつけて手招きした彼は、眉間に皺を寄せて声を荒げて命じてくる。 みちるは、やっとの思いで立ち上がった。 ニコロが手招きしたので、彼の後について短いベランダを通り別の部屋へ行く。 先ほどの部屋と違い、昔風の灯油ランプが壁に吊り下がっている。 多目的に使っている部屋らしく、黄色い光の中一方の壁に釣り道具があった。 反対側は洗濯槽と仕事台で、突き当たりには簡易的なシャワーが設置されている。 ニコロは、手にお湯の温度を確かめたその後、みちるの身体から毛布を引き剥がした。 呆気としたみちるを浴槽の中へシャワーの下へ押し込み、ニコロは彼女の背後からスポンジを渡してきた。 「みちる、早くして。寒いし、俺自身ももうひと浴びする予定だからね」 押し黙るみちるののろのろとした緩慢な動作に、ニコロが咎めてくる。 みちるは、頭に鳴り響くような頭痛とわずかに眩暈を感じていた。 ニコロが近くにいる恥ずかしさよりもずっと疲労しすぎていて、どうあれニコロの言われた通りに出来ずにいる。 背後のニコロから、小さく溜息がこぼれてきた。 自分の腰に巻いたタオルを取り去ったニコロが、シャワーの中に踏み込んできた。 「ニ、ニコロ」 「みちる、俺は喉が渇いているし、出来るだけ早めに済ませたい。俺のことはロレッタ姉さんだと考えて、大人しくしていて」 ニコロは、さすがにびっくりして何か言いかけたみちるを遮り、彼女の手からスポンジをひったくってしまう。 みちるの身体にこびりついている汚れを、首から背中、両脚へ、ニコロはすぐさま無造作に擦り落としていった。 ニコロは、それから手荒くみちるを自分のほうへ向き直させる。 みちるは、困惑を隠しきれなかったが回らない頭でニコロを信じることにし、大人しく押し黙っている。 自分の大きな手で握るスポンジで、彼女の小さくて形のいい膨らみの上で円を描き、お腹から腿へ動いていく。 みちるは、お互い裸なので出来るだけ下を見ないようにした。 ニコロの太い首だけを集中しているが、不意に身体に熱が走り彼女は息を詰まらせている。 スポンジに隔たれた大きな手をまじかに逞しい異性の身体を妙に意識したみちるは、次第に気になりはじめた。 困惑を滲ませているみちるは、ニコロに小さな子供のように隅々洗われる。 みちるがすっかりと綺麗になり、ニコロは自分がかってでた作業を終わらせると背を伸ばす。 大柄な身体は一層素晴らしく堂々と見え、みちるはゴクリと喉を鳴らしてしまった。 「……みちる、俺を女性として意識してもダメだよ。俺自身基本的に女性には興味はない。だから兄の子供のように、みちるに気兼ねなく洗うことが出来たよ」 「わ、わかっているわ。ロレッタがニコロのこと、勿体無いって毒づいていたもの」 ニコロに少し軽蔑した目で言われたみちるは、内心傷つきながら震えて声音でぼやく。 「わかっているならば助かったよ。俺はコーヒーを淹れるよ。コーヒーを飲めば君の欲求不満も少しは落ち着くだろうし」 ニコロは、皮肉げに言い浴槽から出て行きみちるへタオルを放った。 「欲求不満……。ニコロって失礼ね。男の人は苦手だし、今まで男女の経験だってないわけで、よくわからないことばかりなのよ」 みちるは、ニコロが自分のタオルを持って背を向けたそのあと、口の中でもごもごと言う。 ニコロは、一瞬足を止めたが何も言わず室の外へ出て行った。
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