第一章 燻る鼓動(ニコロ)

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2 ジョアンが自室へ戻り大邸宅が静寂に包まれたあとのこと、みちるは自室から抜け出した。 みちるの姿は、室内用のスリッパとチェックの柄の上下あるパジャマの上から厚手の白のバスローブを羽織っただけだが、彼女は迷うことなく外へ出た。 街灯がぽつりぽつりしかない、木々が生い茂る自然の散歩道。 みちるは、真夜中に怯えることなく歩き続けて目的地へ到着した。 わずかな街灯が照らし出した場所は、夜の海。 みちるの金髪を靡かせる海の風で、潮の香りが満ちている。 三月で初春。 海風は、凍りつくように冷たい。 爽やかな匂いが、みちるの鼻を擽る。 打ち寄せる波の低い単調な響きは、穏やか。 寒さよりも何よりもそれは虚ろな心を静かに洗い流してくれるように、みちるのすべてを和ませてくれる。 形の良い丸い月が神秘的な月虹とともに、海面をゆらゆらと輝かせていた。 月明かりは、白い波頭を光らせる。 あとからあとから波を押し寄せ、渚に砕けた。 さあ、おいでーー。 潮騒は、みちるを誘い、あどけなくひいていく。 みちるは、うっとりと景色を眺めていた。 不意に、砂にめり込んだ室内用のスリッパを脱ぎ捨て海に向かって走り出す。 みちるは、走りながら無意識のうちに自分が羽織っているバスローブや上下のパジャマやパンツを脱ぎ捨てていた。 みちるのつま先で濡れた砂が、ひたひたと鳴る。 押し寄せた冷たい波が、みちるの足を包む。 彼女を促すように、擽った。 ゆっくりと入江を見渡したみちるは、大きく深呼吸する。 海は、砂浜を幾千年前から洗い、それは世の中が文明がどう変化しようと変わらない。 幾千年、幾万年、この浜に打ち寄せ続けている。 みちるは、壮大な海とともに自らのすべてを含めて海の藻屑となり、ロレッタを失った絶望をその深淵の彼方へ沈めてしまいたいと強く感じていた。 みちるの心を唆すように、波の手が彼女の素足を擽る。 次の波は、ざぶんと大きく鳴り響くままに、みちるへ被さってきた。 みちるは、一瞬目を瞬かせるが、躊躇うことなく踏み出す。 何も考えたくない。 みちるは、ただそれだけを感じて自分の細腰まできたら、柔らかく起伏する海の奥へ向かう。 自分の背中を海面へつけると、ゆっくりと泳ぎだした。 静寂な世界。 優しく包み込む海。 丸い月夜の圧倒的な神秘性。 みちるは、一片の流木のように無心に揺れる波間に身体を浮かべた。 初春の凍りつくような寒さなど、今のみちるには関係ない。 しばらくして、みちるが長い睫毛を瞬かせたその時彼女の背後から逞しい二の腕が伸びる。 華奢な身体は、海中から引き上げられたーー。
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