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10.花の中で眠る
正直に認めよう。
娼館での仕事は思っていた数倍ハードだった。恋の駆け引き的な感じで心が疲れるのかと思っていたが、絶対的に身体の方が摩耗する。
私が今日付いた客は一人目が中年の紳士。
ニコニコと優しそうな顔で挨拶から始まったので、当たりのお客さんなのかと安心していたのも束の間、服を脱いだらそのままベッドに押し倒された。年齢の割にとても元気な男で、120分というコースを選択していたのに6回も本番を強要して来た。最後の方はもう私も疲れ果ててしまい、なんとか彼のモノを舐めて鎮めるということで許してもらった。
本当は、行為が終わって送り出した後に一人で少し泣いてしまった。何をしているんだろうとも考えた。
だけど、これは私が選択したことなのだ。
婚約者に破談を言い渡されて義両親を失望させた私を迎え入れてくれた場所が娼館セレーネだった。やると決めたからには頑張らないと、そう再度気合を入れ直した。
二人目も120分コースで初老の男性。
伝えられた「勃起させてほしい」というリクエストに応えるために、舐めたり揉んだり色々と試してみたが、どうも上手くいかない。小話を挟みつつ、何度か挑戦するうちに蟻地獄の話になって気付いたら彼は射精していた。色々な意味で正直とても怖かった。
「お疲れ様、リゼッタ」
死にそうな顔で食堂に現れた私を見てヴィラが労いの言葉を掛ける。手を挙げて応えつつ並んで配膳の列に加わった。
「120分を二本でしょう?やっと娼婦らしくなってきたね」
「一晩なんて買われたら私きっと死んじゃうと思う」
「ふふっ、違いないね」
今日の朝ごはんはスクランブルエッグとベーコン。トーストかバターロールを選択できたので、バターロールをもらった。
ぱっと見で30人ほどの人間が食堂の中を闊歩している。彼女たちが皆、娼婦であるとは限らないけれど、こんなに大きな屋敷だからその可能性も否定できない。
今日担当した二人の客の話をヴィラに話すと、ヴィラは椅子から転げ落ちそうになりながら笑ってくれた。
「蟻地獄って!」
「タイミングが悪かったのかもしれないけれど…」
「そういう問題じゃないでしょう」
そういえば牛の出産シーンを見ながら自慰する変態も昔居た、とヴィラは懐かしそうに話す。
「ヴィラも昔は娼婦だったの?」
「私は一年だけ。化粧の勉強したくて、お金貯めたかったからさ。でも結局娼館で働いてるんだけどね」
夢を叶えるために手段として娼婦という道を選んだヴィラを私は眩しいと思う。私がここで働く理由はただ、自分の存在理由がほしいから。誰かに必要とされたいから。
それが叶ったとして、その先はおそらく何もない。
食事を終えてトレーを戻し、食堂を出たところで向こうから歩いて来たナターシャに呼び止められた。「荷物が届いている」と言う彼女に付いて管理人室まで向かう。
「受け取りのサインだけ書いといておくれ」
ボードに貼った紙とペンを指差しながらナターシャが差し出して来たのは大きな花束。白い花弁は百合かと思ったが、よく見るとすべて薔薇だった。
「どなたからですか……?」
花弁が落ちないよう気を付けて受け取りながら、尋ねる。
一瞬だけ、本当に一瞬だけ私はシグノーが私に謝ろうとしているのかと期待した。昨日はごめん言い過ぎた、とメッセージカードを添えて。
ナターシャは老眼鏡越しに私の目を見る。
「ノアだよ」
「え?」
予想外の答えに驚く。要らないなら食堂に飾るというナターシャの申し出を断って、花束を抱いたまま階段を駆け上がった。それは私が初めて男性からもらった花束だったから。
扉を勢いよく開けてベッドに倒れ込む。
芳しい薔薇の香りが部屋の中を満たしていて、私は疲れた身体を抱いて安心したように眠った。
◆白い薔薇…花言葉は「純潔」「深い尊敬」。
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