26.イーゼンハイム家の一族

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26.イーゼンハイム家の一族

アルカディア王国の王宮に近付くにつれて、周りの景色も大きく変わっていった。緑豊かな牧草地帯や農園を抜けると、徐々に民家や工場が増えてくる。やがて近代的な建物が出てきたかと思うと、大きくそびえ立つ宮殿が現れた。 見えたとは言っても、車はまだ門に到着したところで、広い庭の中をゆっくりと車は進んでいく。石造りの壁に囲まれた庭園はまるで楽園の縮図のようで、小さな小川が流れていたり、美しく整えらえた木々たちが等間隔に植えられていた。私は車の中からそれらを眺めながら、改めてカルナボーンとの国力の差を感じる。 「どうかな?気に入ってくれると嬉しいけど」 「……本当に素晴らしいです」 精一杯の感謝を込めてノアを見上げると、私の手を握って「中も案内したい場所がたくさんある」と言ってくれた。 アルカディア王国を統治するイーゼンハイム家の家族構成を実のところ私は熟知していない。隣国とはいえど、国交が盛んで使節団が行き交うような仲でもなかったし、カルナボーン王国における外交は、婚約者の私の仕事ではなく王妃と皇太子妃であるサマンサの仕事だったから。 ノアの育った場所に自分が足を踏み入れるということは、私にとっては胸がいっぱいになるような出来事だった。たとえ彼が私をただの娼婦として気紛れに連れ回しているのだとしても。 やがて車は見上げるほど大きな扉が付けられた宮殿の入り口の前に停車した。短い階段を登ると、扉を超えた先はもうアルカディアの王族の世界となる。運転手に頭を下げて礼を伝えると、差し出されたノアの手を取って、私は隣国の王宮へと足を踏み入れた。 「お帰りなさい。あらやだ、貴方、ノアが…!」 「なんだマリソン慌ただしい……ノア!?」 少し離れた廊下の先で、夫婦漫才のように仲良く並んだ男女が声を上げた。 どうして半裸なのか分からないけれど、筋骨隆々とした身体をして腰回りに白い布を巻いた銀髪の男性は国王だろうか。ということは、隣で赤い口紅を塗った口を大きく広げる女はおそらく王妃。 「ただいま戻りました」 隣に立つノアを見上げると爽やかな笑顔を浮かべている。 「ノア!お前は猫のようにいつも消えたり現れたり…今度はどこへ行っていたんだ?その女の子はいったい……」 慌てふためく国王の前でノアは私に向き直る。 「リゼッタ、父のオリオン国王だ」 「は…初めまして陛下、リゼッタ・アストロープです」 「ああ。よく来てくれたな……いや、それより…」 「こちらは母のマリソン王妃」 「リゼッタです、いつもノア様にはお世話に…」 緊張のあまりモゴモゴ喋る私の肩をノアは抱き寄せた。驚きのあまり顔が固まる。数メートル先でこちらを見る国王夫妻があんぐりと口を開けているのが見えた。 「父さん、母さん、紹介します。僕の恋人のリゼッタ・アストロープです」 頭が真っ白になる。ノアはいったい何を言っているのだろう。私はいったい、いつの間に娼婦から彼の恋人に昇格したのか。それよりも私を見る国王と王妃の顔色がどんどん変わっていくことが気掛かりだ。 「悪いけど、僕らは疲れているから先に部屋に行かせていただきます。また詳しい話はあとで」 「……あ、ああ。二人でゆっくり…」 「ちょっと貴方!私はまだノアに聞きたいことが…」 気の抜けた様子で返答する国王の腕を王妃が突ついていたが、ノアは気にする素振りもなく私の腕を引いて階段を駆け上がる。そういえば持って来た荷物は車の中に預けたままだ。 階段を登り切って長い廊下を進むとノアは白い扉の前で立ち止まった。同じような扉がたくさん並んでいて、私は頭が混乱してくる。あとで部屋の説明を受けないと場所を覚えるのは難しそうだ。 「ここが、俺の部屋」 扉の先には大きな窓から陽が降り注ぐ煌びやかな部屋があった。美しい装飾が施された机に、それに似合うように選ばれたであろうソファ。広いベッドでは五人ほど横になれそうだ。さすが、と言うべきか、カルナボーン王国で仮にも皇太子であったシグノーの部屋との違いに驚いた。 感嘆の声を上げながら思い出したのは、先程の説明。冗談にしては国王夫妻に失礼だし、私の対しても事前に説明ぐらいしてほしかった。 「ノア様、国王陛下の前であのようなご冗談はおやめください!本気になさっては困ります…」 「……冗談?」 何のことか分からないと言った顔をするノアに「恋人という説明です」と伝えると、少し考えた後に口を開いた。 「悪かったね。女性を連れて帰ると、色々聞かれて面倒なんだ。ああいう風に言った方が簡単かと思って」 「ですけれど、私たちは……!」 「俺は本当にリゼッタとそういう関係になりたいと思っているよ。リゼッタはどう?」 「わ…私は……、」 後ずさる私の背中に壁が当たる。 目の前に立つノアの顔が見られない。だって、ノアは王族なのだ。しかも私はカルナボーン王国で婚約を破棄された身。更に現状は娼館セレーネで世話をしてもらっている娼婦。 とてもじゃないけれど、彼には見合わない。 「困らせてごめん。嘘だから忘れて」 「……嘘?」 「うん。リゼッタはナターシャからの借り物だし、ちゃんと二ヶ月で娼館に返さないと」 「そうですね…、」 ほっとする反面、どうしようもなく泣きたくなる。手が届く距離にいる彼と私の間には月と太陽ほどの距離があって、その距離はきっと一生埋めることが出来ない。
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