37. リゼッタとバナナパンケーキ

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37. リゼッタとバナナパンケーキ

「おはよう、寝てる顔すら可愛ね」 目を覚ますとベッドに肘を突いてこちらを覗き込むノアが居た。私は飛び上がらんばかりに驚いて壁の方へ後ずさる。その様子をノアはただただ面白そうに眺めていた。 「朝ごはん食べれそう?」 「……はい」 「何かリクエストはある?」 迷った末にパンケーキと答えると「了解」と笑って、ノアは軽快な足取りで部屋を出て行った。 ここはノアの部屋だろうか。徐々に昨日の夜の記憶が朧げに蘇ってくる。私はついにノアと三回目の約束を果たしたのだ。恥ずかしくなって足をバタバタさせていたら、急に色々なことが気になってきた。娼婦のくせに下手くそだと思われなかった?反応が悪くて萎えたりしていない? ノアは本当に底なしに優しくて、行為の間もずっと私を気遣ってくれた。ただ欲望の捌け口として要求に応じるだけの性交に慣れていた私は、壊れやすい宝物のように扱われて動揺した。彼が相手で初めてを経験していたら、もっとそういった行為の悦びに早く気付けたかもしれない。 (ノアとなら、嫌じゃない……) ぼんやり考えて自分の思考に赤面した。私は朝から何を馬鹿な妄想を繰り広げているんだろう。たとえノアがまた私を求めてくれたとしても、それは恋人ごっこの一環であって、本気でリゼッタとしての私を求めているわけではないのだから。しっかりして、と頬をパシンと叩いた。 まだノアは帰って来そうにないので、今のうちにとシャワーへ移動した。捻るとすぐに温かくなるお湯はアルカディア王国の文明の高さを示しているようだ。 ノアを受け入れた場所はまだ少しヒリヒリしていて、私は処女でもないのに恥ずかしくなった。初めてシグノーと交わった日の事はあまり覚えていないけれど、私はこの先きっと、昨日の夜のことを忘れることはないと思う。 偽りの恋人じゃなければ、どんなに良いだろう。 「化粧したんだ?すごく綺麗。服も似合ってる」 シャワーを終えて化粧を済ませた後で昨日買ってもらった服に着替えたら、ノアはもう部屋に戻っていた。私を見てすぐにそんな感想を述べる。これはかなり理想的な恋人の反応だろう。 娼婦を腑抜けにするという噂もあながち嘘ではないと思う。ノアに言われるすべての言葉を間に受けていたら、そうなっても仕方ない。 「……ありがとうございます。そういえば、ウィリアムさんが、今日は骨折した箇所の包帯を巻き直すから来るようにと言っていました」 「ん?リゼッタが一人で行くの?」 「いえ、ノアと一緒に来てくれと…」 「そうか。なら良いよ、行こう」 とりあえず、先ずは朝食を済ませてウィリアム・クロウの住む屋敷へ向かうことになった。ノア曰く、ウィリアムの家は昔からある名家らしく、研究施設や医療機関との繋がりが深いらしい。 ノアは、ウィリアムがアルカディアの国立大学を次席で卒業したという過去を話しながら階段を降りる。感心して素直に褒め称える私に向かって、更に彼は「首席は俺だったんだけどね」と自慢する風でもなく付け加えた。アルカディアに比べて後進国であるカルナボーンの、中級程度の学校ですら一番になれなかった私は閉口した。 食堂からは扉を開ける前から甘い良い匂いがしていて、鼻をクンクンさせながら部屋に入ると、机の上には美味しそうな焼き目が付いたパンケーキが積み重なっていた。側にはハチミツやバターなどが小皿に入っている。 「バナナパンケーキにしてもらったよ」 得意げに言うノアを見て笑いながら礼を伝えた。ナイフで切り分けて少し口に入れるとほんのり甘いバナナの香りがする。おいしいおいしいと驚嘆の声を漏らしながら、私は皿に乗ったほとんどのものを自分で食べ尽くしてしまった。
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