39.医者と薬

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39.医者と薬

白い壁に四方を囲まれたその部屋の中には、中央に一人用の寝台があって、その周辺に様々な機械が並んでいた。見たこともない小さなボタンが並んだ無機質な四角い箱は、少し私を不安にさせた。 「大丈夫だよ、リゼッタ。こう見えてウィリアムは医者の卵だ」 「なる気はないから卵ではないな。資格は取ったが俺は法律の方が相性が良いから」 「お前みたいなガリ勉が法務を担当してくれると、俺が国王になった時も安心だよ」 茶化すように言ってノアは笑った。 そうだ。ノアは現在の国王の後を継ぐことになる。それ故に彼の交友関係も将来を見据えたものであり、優秀な友は若き国王が誕生した際にはそのサポートに回るのだろう。 また小さな劣等感が沸々と湧いて来て、私は手をギュッと握った。ノアにとっての当たり前は私の夢物語。カルナボーン王国で婚約者として選ばれたこと自体が奇跡的なことで、育ててくれた恩はあるが、自分でも没落した子爵家の養子が御伽話のお姫様のような結末を迎えるとは思い難かった。そうした奇跡が長く続かないから、私は娼婦になったのだ。 「その手首は何が原因で?」 聞こえた声にハッとする。内なる思考に入り込んでいて自分を見つめるウィリアムの視線に気付かなかった。 「………重い物が落ちて来て、」 「誤魔化す必要はないよ。ナターシャに事情は聞いてる」 「……え?」 「勝手にごめん。君のことをアルカディアに連れて行くって話を付ける時に怪我について詳しく聞いたんだ」 言いながらノアは顔の前で両手を合わせて、詫びるような仕草をして見せた。 「そうなのですね…骨折の原因は、体重が掛かった足で踏まれたからです。お医者さんからは二ヶ月もすれば治ると言われています」 なので大したことないですよ、と笑って言うとウィリアムは何も言わずにノアの方を見た。ノアは機械を覆う冷たい金属板に触れながら口を開いた。 「リゼッタ、君がいつも飲んでいる薬は今ある?」 「すみません。お部屋に置いて来ました」 「ずっと同じものを飲んでいるの?」 「はい。そうですけれど…?」 どうしてそんなことを聞くのか。処方されている薬は、アストロープ子爵の妻であり、私にとって義母であるケイトから渡されているものだった。ずっと同じ種類のものを飲み続けていたので、今更そんなことを聞かれると驚く。 小さい頃から、風邪などで体調を崩すとケイトは私にその小さな白い錠剤を手渡した。咳止めだと聞いていたそれは、一定の効果を持っており、確かに飲んだ後は少し発作が落ち着いた。娼館に来た医者に種類を伝えると追加を貰えたぐらいだから、変な薬ではないはずだ。 「今度俺にも見せてくれるかな?調べたい事がある」 「……分かりました」 心配そうな私の表情を見てか、ノアは「大丈夫だよ」と付け足した。何が大丈夫で、何が大丈夫でないのか分からないまま私は小さく首を縦に振る。 包帯を巻き直すというウィリアムの申し出に腕を差し出した。捲られた白い布は床にはらはらと落ちて行く。前回見た時は大きく腫れていた患部も、今では少し赤くなっている程度で、痛みこそあるものの回復に向かっているようで安心した。 「少し触ってみても?」 ウィリアムの問い掛けに頷くと、冷たい手が手首の上に触れた。 「……っん、」 「ありがとう。順調に完治に向かっている」 本当の医者よりも医者らしく、ウィリアムは私の目を見て穏やかに告げた。その口調は柔らかく、彼のことを随分と怖い人物だと思っていた私は幾分か安心した。 新しい包帯を巻いてもらっている間、静かなノアの様子を伺う。壁に寄り掛かって腕を組んだまま、少し俯いた顔の表情までは銀髪に隠れて見えなかった。
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