55.平手打ちで御免◆ノア視点

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55.平手打ちで御免◆ノア視点

「……なんて言った、今?」 「リゼッタに一週間客を取らせないでって言った」 「ノア、あんた…ふざけんじゃないよ!」 背の低い老婆の平手打ちをわざわざ少し屈んでまで受けに行ったのは自分なりの優しさだった。容赦なく振り下ろされた手の平は、見た目によらず強い力を発揮する。 「ビンタなんて初めてされたな」 頬を押さえて笑うと、ナターシャは怒りが治らない様子でこちらを睨み上げる。再度振り上げられた手を警戒して、細い手首を掴んだ。 「ごめん、無茶言ってるって分かってる」 「じゃあ良い加減に、」 「でも俺は二ヶ月リゼッタを借りると言ったんだ。約束の日まで、まだ一週間は残っているよね?」 「我儘言うんじゃない!」 「頼むよ…ナターシャ」 何か言おうと口を開くナターシャに向かって、深く頭を下げた。それは精一杯の誠意の表明で、長い間イーゼンハイム家に仕えてきた彼女は、自分のこの態度がどれだけの意味を持つのかは分かってくれるだろう。 「前金で1億モンドだ」 「……全額払うよ、それで信用してくれるなら」 大きく目を見開く老婆の前で、小切手を切った。どのみち身請けのために用意していたものなので、別にタイミングが前倒しになっただけのこと。 たった一枚の紙切れで信用が買えるなら安いものだ。 「とりあえず3億モンド。これは父の金じゃない」 「……オリオンは知ってるのかい?」 「さあ、どうだろうね。リゼッタのことは恋人として紹介したし、彼女が隣国の王子の元婚約者だとは言ったけど」 「王子が娼婦を身請けするなんて、」 「王族であることが障壁になるなら、捨てても良い」 「………大層な決意だね」 メロドラマよりもドラマチックだ、とナターシャは呆れながら小切手を仕舞い込む。 後ろから車のドアが開いて、ウィリアムが降りて来た。早くしろと言いたいのだろう。ナターシャはやれやれと言った風に首を振って、さっさと去れとばかりに手を振った。仮にも客である自分に対しての、彼女らしい態度に笑う。 「ノア、これだけは忘れちゃだめだよ」 「……?」 「あんた達が歩むのは茨の道だ。責任は取りな」 「手厳しいね。そんなの分かってる」 最悪は二人揃って打首御免だ、と呟いたら凄い気迫で睨まれたので冗談だと慌てて否定した。責任でもなんでも背負えるだけ背負うつもりだ。 生涯で一番高い買い物なんだから。
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