59.目先の5000万モンド◆ノア視点

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59.目先の5000万モンド◆ノア視点

「リゼッタが病弱ですって?そりゃあ、そうでしょうよ」 「おい、ケイト!」 「どうして?話して差し上げましょう。別に私たちが罰せられるわけでもないわ。失敗したんだから」 「………失敗?」 夫婦の会話の意味が理解できず、問い掛ける。 ケイト・アストロープはその骨のような指を立てて窓際の棚を指差した。棚の上には大きな水晶玉が置かれている。しかし、水晶玉というにはそのガラス玉は透明さが欠けており、内部は(もや)が掛かったように濁っていた。 「教えてあげるわ。二十数年前のことよ、ダグナスと私が乗った馬車が歩行中の親子を跳ねた。雨の日でよく見えなかったなんて御者は言っていたけれど、両親は即死だったわ」 「……それは、」 「そう、生き残ったのがリゼッタ。私たちは悲嘆に暮れた。運転の責任は御者にあるけれど、飛ばせと指示を出したのは主人だったから」 「ケイト!お前だってあの時…」 「すると御者が教えてくれたの。アルカディアの氷の渓谷に、何でも請け負う魔女が住んでいると」 「……!」 氷の渓谷。アルカディア王国においては伝説のようなその名前も、この場で聞くと存在する場所のように聞こえた。 「死んだ大人の死体はすぐに山で埋めたわ。今私たちが此処で生きているということは、もう土に還ってくれたんでしょうね」 「……リゼッタは?」 「私たちはアルカディアに人を送って魔女を呼んだ。半信半疑だったけれど、美しい女が来たわ。魔女はリゼッタの記憶を封印して、彼女に呪いを掛けた」 飾られた水晶玉こそが契約の印らしい。魔女に会うまで、監禁している間も騒いで煩いガキだったとケイトは心底嫌そうに呟いた。 理解が追いつかないとは正にこの事で、隣に立つウィリアムも困惑した顔をしている。氷の渓谷なんて、アルカディアの国民でも知らない人が多いような場所だ。アストロープ子爵夫妻の話によると、御者と彼らは互いの罪を口外しないことを約束して別れたらしい。常に自分たちの安全を優先する彼ららしい選択だと思う。魔女への支払いのために数ヶ月分の食費が消えたと、二人は残念そうに話した。 「…それと、リゼッタの体調にどんな関係が?」 「言ったでしょう?呪いを掛けたのよ」 「……どんな?」 「長く生きられない身体にして貰うように頼んだ。うんと保険金を掛けてね」 リゼッタから事故と両親の記憶を抜いて、更に彼女の健康をも阻害しようとした。とてもじゃないが親を語って良い話とは言えないだろう。握りしめた拳が震えるのを感じた。 「でもね、失敗したのよ」 「?」 「あの子がシグノー第二王子と婚約すると聞いた時、私たちは焦った。王族に嫁いだ娘は無事に結婚すると、カルナボーンでは5000万モンドが親元に祝い金として贈られる。でも、身体の弱いリゼッタが結婚までに死んだ場合、それを受け取ることはできない」 だから私たちは考えた、とケイトはその暗い顔を歪めた。 笑顔にすら成り切っていない彼女の表情を見ていると、心の芯が冷えていくのを感じる。リゼッタはこの家で、何を考えて生きて来たのか。婚約を破棄されて家に戻った彼女は、義理の両親に追い出された時にどれだけ辛かったか。 今すぐ、その手を取って抱き締めたかった。 「魔女に呪いを解くように頼んだの…それが誤りだった。目先の5000万モンドに目が眩んで、私たちは重複した呪いの不安定さを知らなかった」 「お前が魔女に言ったんだ!俺の責任じゃない!」 「貴方も賛成したじゃない!」 罪をなすりつけ合う夫妻を見ていると、この世の終わりのようなどんよりとした気持ちになった。 「つまり…リゼッタに掛けられた呪いは今、不安定な状態ということですね?解けたわけではないと?」 「ええ。勢いで追い出したこと、後悔しているわ。手元に置いていれば死んだ時には金になったのに」 「5000万モンドの計画が泡と消えたんだ、気がおかしくなるほど落胆するのはアンタでも分かるだろ?」 ダグナスは同意を求めるようにこちらに手を伸ばす。 その手を掴んで反対に#捻__ひね__#ると何本かの骨は折れたようで、大きな悲鳴が上がった。のたうち回る男を見て、妻のケイトは怯えたように身を縮める。 「リゼッタが飲んでいる錠剤は?」 「…あれは気休めよ。病も気からと言うでしょう?あの子が身体を壊した時に何も処置しないのも親として疑われるし、何より薬を飲み続けることで彼女の中には『自分が病人なんだ』という自覚が芽生える」 弱った心は管理しやすいのよ、と得意げに語るケイト・アストロープの鼻をへし折りたかったが、寸前にウィリアムに止められた。 聞きたいことはおおよそ聞く事が出来たので、これ以上アストロープ子爵夫妻に用はない。どうしたものかと思ったが、ウィリアムは首を横に振っている。これだから中までは連れて入りたくなかったのだ。 「アストロープ子爵…本当は殺してしまいたいところですが、僕にとっても貴方は大切な義両親だ」 「あ…ああ、そうだな!」 「契約の証であるこの水晶玉を割ったらどうなりますか?」 「……何を!」 「やめなさい、そんな事をしたら魔女が来るわ!呪いを掛けた対象を追い出したなんて知られたら…」 契約違反になる、と慌てふためく夫婦の前で水晶玉を手に掴む。手の平に収まる大きさのガラス玉を、指先から滑らして地面へ落とすと、音を立てて簡単に砕け散った。 「あ、あとは念のために舌も切っちゃいますね。あまり僕と彼女の関係を言い触らされると困るので」 逃げ惑うダグナスの身体に馬乗りになる。気絶しそうなケイトの腕を押さえながらウィリアムが何やら警告しているようだが、こちらも用心するに越したことはないのだ。 少なくとも、舌先を切ったぐらいで人間は死なないし、本当の魔女が来るというならば時間稼ぎぐらいにはなるだろう。昼間に情報を集めた結果、夫妻は元々周辺であまり良い関係を築けていなかったようだし、「隣国の王子に襲われた」なんて言ったところで信じる者が何人居るのか。 荒技だが、嘘吐きな彼らには最適な処置だ。
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