66.ルネが教えること

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66.ルネが教えること

「それにしても、あの自由を愛する兄がたった一人の女に夢中になるなんてね」 言いながらルネは自分の右手に触れた。その長い指には、赤い小さな宝石が乗ったシルバーの指輪が輝いている。 長い廊下の先は突き当たりになっていた。 ルネが右手で触れると、白い壁に突如穴が開く。私は目を丸くしてその様子に息を呑む。魔法と呼ぶにはあまりに自然で、当然のように行われた行動に、言葉が出なかった。 「本当に魔法が使えるんですね」 興奮する気持ちを抑えながらルネに語り掛ける。 ルネが前を向いたまま「僕は本物ではない」と溢した。 「ジゼルの力を借りているだけだ。ジゼルは本物の魔女、僕やノアには遺伝しなかったから魔女は彼女の代で滅びる」 「……そんな、」 「昔はもっとたくさん居たらしいけどね。アルカディアを発展させた文明や科学と、理屈で説明できない魔法や呪いは親和性が悪かったみたいで淘汰されていった」 せめて生き物だけでも守らなければ、と話すルネの言葉を聞きながら私は絵本の中で読んだ妖精や小人、ユニコーンといった幻の生物のことを思い出していた。 まだ目にしてはいないものの、氷の渓谷には本当にそういった生物が居るのだろうか。もしもオリオン国王がその事実を知って、保護を保証した場合は魔女の怒りは少しは治まるのではないか。 「リゼッタ、君のことはジゼルから聞いていた。ジゼルは自分の魔法や呪いを人のために使うこともあるんだ、もちろん金銭と引き換えではあるけどね」 「どうして魔女は私のことを知っているのですか?」 「それは君が彼女に呪われた対象だったから」 「……呪い?」 出会ったことも見たこともない魔女に、私はもちろん呪われた覚えなどない。魔女の恨みを買うようなことをした自覚もないし、魔女どころか人にそこまで嫌われるほど、醜悪な仕打ちをした記憶はなかった。 考え込む私を振り返って、ルネは口を開いた。 「君はいつからアストロープ子爵の家に?」 「え?」 「覚えている?養子に貰われた時のこと」 「……いえ、幼かったので」 「いくら幼くても自分が他所の家に入った時のことぐらい覚えているでしょ。君がアストロープ家に養子で貰われたのは6歳の時なんだから、赤ん坊じゃない」 ルネの言葉に私は何も答えることはできない。 本当に覚えていないから。一番古い記憶はアストロープ子爵夫妻と共に有名な学校の試験を受けに行った時のこと。私はうまく面接で自分のことを説明できなくて、義父のダグナスはそんな私に悪態をついていた。 他の養子の子供がどんなものかは知らないけれど、私はそこそこ幸せな方だと思っていた。一応三食ごはんを貰えるし、眠る場所だってある。普段は会話の少ない義父母も、私がシグノーの婚約者として選ばれた日の夜は、遅くまでお酒を飲んで祝ってくれた。 「はっきりした記憶はないですが…アストロープ子爵夫妻が私の親になろうとしてくれたことには感謝しています。お陰で今まで生きて来られましたから」 小さく微笑むと、ルネは驚いたように目を見開いた。 「そんなんだからノアに狙われるんだよ」 「……どういう意味ですか?」 「ジゼルが言った通りだ。見返りを求めない君の優しさは汚れ切ったノアが求める最上の癒し、そして赦しなんだ」 哀れだな、とルネは吐き捨てるように言う。 その様子はどこか苛ついているようでもあった。 「ノアは汚れてなんかいません、撤回してください」 「何も知らないくせによく言えるね」 「………、」 「少なくとも君よりは兄のことを知っている。どんな幻想を抱いているのか分からないけど、ノアは君が思っているような聖人君子じゃないよ」 「そんなこと…!」 尚も食い下がる私の身体を、ルネは勢いよく手で押した。ひんやりとした壁の温度を肌で感じながら、透き通った銀髪の奥に見える非対称な瞳を睨む。 ノアと同じ背丈に同じ顔。 よく似たその姿は私を困惑させた。 「リゼッタのこと見てたらイライラする。君は優しいっていうか、ただの間抜けだ。物事の綺麗な面だけ見て、すぐに良いように信じ込む」 「貴方が私の何を知ってるんですか!?」 「自分のこと分かってないのって残酷だね」 「……何が言いたいの?」 自分でも、気持ちが乱されていると分かっていた。 「君の両親はアストロープ子爵夫妻に殺されたんだよ、魔女の呪いで忘れているだけ。挙げ句の果てに金のために身体の自由まで奪われた。ああ、なんて可哀想なんだろうね」 「嘘ばっかり…好き勝手言わないで…!」 「シグノーの話は知っている?あの変態は自分の義姉が好きだったんだ。ジゼルも言ってただろう?」 聞いてはいけない。こんなデタラメな話に耳を傾けるのは時間の無駄なのに。ルネはきっと私の反応を見るために意味不明な話を展開しているのだ。真面目に聞いて悲しんでいては彼の思う壺、無視しないと。 アストロープ子爵が私に呪いを? シグノーが義姉であるサマンサを愛していた? そんなことーーーー、 「ノアだってそうだ。君は一度だって彼を心から信じることが出来たか?本当に愛されているなら、どうして君は娼館に返されたんだろうね」 「………っ」 「可哀想なリゼッタ、最後に泣くのは君だけだ」 溢れ出た涙を冷たい指が拭う。 薄い唇を少し上げて、ルネは私に口付けた。
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