72.王子様の中身

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72.王子様の中身

「暫く見ない間に随分洒落た顔になったな、見違えたよ」 わざとらしく両手を広げて茶化すように話すノアを見ながらハラハラした。隣に立つルネの握った拳が怒りに震えているのが見て取れる。 ウィリアムもノアもどんな道を通って来たのか、ひどく服が汚れていた。そのどす黒く血のような色合いは私を不安にさせた。二人の表情からして、無事だとは思うけども。 「随分と余裕があるね、ノア。女の前で強がりたいのか?」 「腰抜けを前にしてビビるほど俺は気弱じゃない」 「馬鹿にするのも大概にしろ!」 ルネが吠えるように叫んだ。 その様子を見て溜め息を吐いたジゼルが口を開く。 「兄弟喧嘩は大概にして。ルネ、目的を忘れないで」 「悪いけどノアは僕が相手をしたい。こんな軽口を叩かれて黙っているほど僕も優しくないからね」 「……嫌になっちゃうわ。5分だけよ、良い?」 ジゼルの言葉に頷くや否や、ルネはノアの方へ駆け出した。壁に突いた右手がコンクリートの破片を掴み取り、ノア目掛けて投げる。ウィリアムがギョッとした顔で距離を取るのが見えた。 「なるほど、それがお前らが言う“魔法”か」 ノアが少し顔をズラすと、コンクリート片は壁に当たって粉砕した。肩に落ちた屑を落とすノアの腹にルネが足を振り上げる。 まともに入ったかのような蹴りに思わず目をギュッと瞑ったが、次の瞬間には大きな音がして、恐る恐る目を向けると壁際でノアがルネを羽交い締めにしていた。 「魔女、何分経った?」 ノアの問い掛けにジゼルは物憂げに懐中時計を開くと「1分」と答えた。 「聞いたか、ルネ?お前の5分は短いな」 「……クソ野郎!」 「それとも渓谷の中では時の流れが違うのか?」 「うるさい!黙れよ!」 ルネの頭突きがノアの顔に命中し、緩んだ腕から抜け出た。すぐさま床に右手を突いて先程より大きな瓦礫を取り出すと、鼻血を流すノアに向かって投げる。それはノアの腕を掠って入り口の扉に当たった。 「ルネ、部屋が壊れるわ」 ジゼルが困った表情を浮かべて咎めると、ルネは腹立たしげに舌打ちをする。ノアは手で鼻血を拭いながら腕の打撲を気にしているようだった。 「ノア!ルネの魔法は右手の指輪が関係してる!」 「指輪?」 「赤い石が入った指輪をしているの、その手で触れられたものは形を変えて……っう、」 「リゼッタ、私たちは観客よ。応援だけしていればいいの」 魔女の細い指が私の首筋を這う。 長い爪が突き立てられると、焼けるような痛みが走った。 「リゼッタ!」 「ほらみろ、お喋りが過ぎるからだ」 ケラケラ笑うルネが後方へ吹き飛んだ。伸びた身体にノアが覆い被さる。そのまま数回殴ると大きく跳ねていた足が動かなくなった。 私は言葉が出なかった。 それは、初めて見る温厚なノアの暴力的な一面で、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感と後悔が胸の底から上がって来た。 「ノア、あまり弟を虐めないでちょうだい」 「……先に手を出して来たのはそちらですよ」 「貴女のお姫様が怯えているわ」 ビクッと肩を震わせて振り返ったノアの顔には血が飛んでいた。どんな顔をしたら良いか、何と声を掛けたら良いか分からずに私は自分の足元を見つめる。 「ねえ、アストロープ子爵夫妻はもう死んでたわよ」 「え?」 「分かってて放置して行ったんでしょう?ケイトはショック死、ダグナスは切られた舌が喉に落ちて窒息していた」 「………何を言っているの?」 魔女は私の方など目もくれない。 彼女はただ、ノアだけを見て話していた。 「いい加減、王子様の振りは止めたらどう?今の貴方の顔はどう見ても善良なヒーローでは無いんだから」 ノアは相変わらず笑顔を貼り付けたまま、困ったように肩を竦めた。床に伸びたルネの脚を蹴って立ち上がる。赤く染まったその顔を、私は初めて心の底から怖いと思った。 差し出された手を取ることが出来ない。 「リゼッタ、君にだけは知られたくなかった」 ノアは残念そうに力なくそう言った。
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