73.化けの皮

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73.化けの皮

頭が混乱していた。 ジゼルの言葉が頭の中でグルグル回る。アストロープ子爵夫妻が死んだ、魔女はそう言ったのだ。それもノアに向かって責めるような口調で。 「……どうしてノアにそんなことを言うの?彼は何も、」 「ノアがやったからよ」 「言い掛かりはやめてよ!流石に笑えないわ」 ジゼルは壁にもたれたまま首を振って目を閉じた。ウィリアムはノアを見つめて閉口している。誰も何も説明してくれる様子がないので、仕方なく私はノアの言葉を待った。 ノアはこちらを向き、何か話そうと口を開くものの、諦めたように目を逸らす。 「………ノア?」 「リゼッタ、ノアを責めないでほしい」 飛んできたウィリアムの声に振り返る。 私は娼館で初めて聞いた、アルカディア王国の王子の話を思い出していた。『戦争にばかり行っている赤血の君と呼ばれる獣がいる』とヴィラは嫌悪した様子で話してくれた。その野蛮な男の話を私は冗談半分で笑い飛ばしていたのだ。 「……嘘でしょう…?」 「カルナボーンの第二王子の話は?貴女だって彼が自殺するような男ではないと分かっている筈よ」 「………!」 「可哀想なリゼッタ、貴女の背中にはいつだってよく切れるナイフが隠れていたの。知らなかった?」 「……やめて、」 「貴女を抱いた二本の腕は人殺しの腕よ」 「やめてよ!聞きたくない…!」 目を閉じて耳を塞いだ。 優しい優しいノア。自分よりも他人を尊重できる余裕があって、細やかな気遣いで私を甘やかしてくれる。柔らかな笑みを浮かべて、壊れ物を扱うように抱き締めてくれた。 そんなノアを好きになったから、私は彼のために生きたいと思った。先の見えない関係でも手放すことが出来なかった。その優しさに少しでも寄り添いたいと思ったから。 「ノア、面倒なら彼女の記憶を操作しましょうか?」 「……やはり彼らの言っていたことは本当なんですね」 「もう昔ほどの力もないし三度目となれば、最悪何もかも忘れてしまうかもしれないけれど…」 少なくとも貴方にとってはその方が良いでしょう、とジゼルは不敵に笑った。 「結構です。自分で何とかしてみます」 「彼女はもう貴方のことを愛さないのに?」 「っはは、未来でも見えるような言い方だ」 「ええ…悲しいことにね」 伸びたままのルネにジゼルは目を向けた。 私は誰を信じるべきか、何をするべきか、分からなくなっていた。ただ耳から入ってくる会話を頭の中でゆっくりと処理をしていくだけ。私もいっそのことルネのようにこの場から退場したかった。ノアが拳で一発頭でも殴ってくれたら、そうしたらもう何も聞かなくて済むはずだ。 「氷の渓谷に住んでいるのはルネと貴女だけですか?」 「いいえ、数は少ないけれど妖精や小人、ユニコーンなんかも居るわ。私は彼らの保護をしているの」 「……そういう建前は聞いていません」 「は?」 ノアは窓の方へと近付いて、そのガラス越しに外の様子を眺めた。ここからは見えないが、窓の外を時折通過する人影は私の場所からも見える。 「貴女が人の記憶を操作することが出来ることは聞いています。その大層な力は凄いと思いますが、ルネはどこまで信じ込んでいるんでしょうね?」 「……何を言っているのかしら」 「氷の渓谷は入り口だけでも草木が生えないほど厳しい寒さだ。今は貴女の力で室温をコントロールしているのかもしれませんが、こんな場所で生き物が生息できますか?」 「できるわよ、現に外に人だって居るわ!」 「彼らはアンデッドですよね?」 魔女は真っ白な顔に驚きを浮かべてその場で固まった。 ノアが指先で窓ガラスを叩くと、通りを歩いていた男がガラスに飛び付く。大きく開かれた口がガラス越しに押し付けられて、私は思わず悲鳴を上げた。 「どんな風に口説いたのか知りませんが、何かそれらしい理由を語ってルネを取り込んだんでしょう。もともと父に反抗心を持っていた彼の心に付け入るために」 「………、」 「あとはお得意の記憶操作でもしたのかな。氷の渓谷はおそらく貴女が作った貴女だけの場所。ルネはその召使いみたいなものでしょうか?」 アンデッドを作れるだけで驚きですけど、とノアは尚もその場を去らない窓の外の男を見つめた。どんよりと光る眼光が部屋の中を窺っているようだ。 ジゼルは暫く静寂を貫いた後、渇いた声で笑った。
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