10人が本棚に入れています
本棚に追加
「持ってきてたんだ。予報、なかったのに」
視線は奥にあるビニール傘に向けられていた。目ざといな、と思いながら彼女は答える。
「……置き傘をしていたの。念のため」
「そっか。盗られなくてよかったね」
その指摘に玲子は首をかしげる。
「ビニール傘なんて真っ先に盗まれそうじゃん。こんなの言ってなかったし」
彼の見上げた先には、憂鬱を形にしたような雨空があった。
彼の言う通り、この天気は予報外れのものだった。今日は一日快晴のはずが、夕方頃から急に雨が降り始めた。傘を持ってこなかった生徒は多かっただろう。
「とられにくい場所に置いてたから」
足元のレインブーツを見られたくなかったので、玲子は膝を曲げて椅子に隠れるようにする。彼からの追及はなく、密かに安堵した。
会話はそれきりだった。
互いに白い息を吐きながら、時間がゆるやかに過ぎていく。
一年近く一緒のクラスにいても、こんな風に二人きりになるのは初めてだった。バス停は逃げ場のない密室みたいで、雨は冷たい檻のようだった。
玲子は手元の文庫本を開くと、視線を落とす。お喋りに興じるつもりはない、という意思表示だった。
こういうとき、普通なら罪悪感や気まずさを感じるのだろう。でも彼女はそうでもなかった。玲子は普段から教室でもこうだった。壁に咲いた花のように、隅で本を読むような生態を好んでいた。人間関係を拒むオーラを放ってるせいか、必要以上に彼女に絡むような生徒はいなかった。その静けさを彼女は愛していた。
とはいえ配慮が必要だな、と玲子は考える。これは誰に対しても行うことであり、 あなたを嫌ってるわけはないと伝えておきたかった。自分が嫌われるのは構わなかったが、言わないと彼が気に病むのではと思ったのだ。
日向明は普段、運動部らしい人たちとつるんでる。授業中も近くの人とよく話してるし、休み時間もお仲間とヘラヘラしながら駄弁ってる。親しい人が相手ならよく喋るのも普通だろうけど、彼は親しくない人が相手でも自分から積極的に話しかける。 クラスのグループ分けでよく知らない人たちと組んだときも、場の雰囲気を良くしようと努めるような人だった。生まれついての善性なのだろう。玲子もそれに助けられたことがあった。
最初のコメントを投稿しよう!