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指先が鉄みたいに冷え切っていた。氷川玲子は息を吐いて温めたものの、さほど変わらない。手袋を忘れたのは失敗だった。
雨の日のバス停は静かだった。雨音が屋根を叩く音はあるけれど、玲子以外に人はいない。教室みたいな騒々しさとは無縁で、寒さに目をつむれれば、快適と言えなくもない。文庫本に視線を戻し、彼女は腕時計に目をやる。時刻は午後七時五十分。あともう少しだろうか。
遠くの方からちかちかと車のヘッドライトが光り、玲子は自然と顔を上げる。そのとき、慌ただしい足音と共にバス停に人が飛び込んできた。
学ラン姿の男子高校生だった。彼はバス停に着くなり膝に手を当てて肩で息をする。間一髪というタイミングだった。
やがてエンジン音が聞こえ、バスの車体が見えてくる。徐々に減速すると市営バスは停留所に停止して、扉が開かれた。
数人の乗客が降り、傘を差して歩いていく。
車内には乗客が大勢いたが、運転手は二人が動くのを待っていた。普通、バス停にいる人は乗車するためにそこにいる。この停留所を通るバスはすべて駅に向かうし、高校から駅までは結構な距離がある。わざわざ歩くような物好きはいないし、雨天であればなおさらだ。
だがしばらく経っても二人が動かないので、乗る気がないとわかったのだろう。ドアがゆっくり閉まると、ぶぼぼぼぼ、と排気ガスを吐き出しながらバスは去った。
そうして取り残されると、沈黙が妙に意識される。
全くの他人ならそんな風にはならなかったけど、玲子は彼――日向明を知っていた。クラスメートとして、一年近く同じ教室で過ごしてきた。
横目で彼の方をうかがうと、前髪から水滴が滴るところだった。
彼は黒いエナメルバッグからタオルを出すと、がしがしと頭を拭く。肩やバッグも軽く拭うとそれをしまい、椅子に座る。4人がけの一番端で、玲子とは席が一つ分、空いていた。
その状況に玲子は内心、舌打ちする。またもや失敗だった。できれば椅子2つ分をあけて、距離を取りたかった。話をしたくなかった。
でも、と彼女は言い訳をする。これは仕方なかった。端の席に座れば、風が吹いたときに水しぶきが飛んで体が濡れる。だから傘や鞄を端に置いて、少しでも濡れにくい場所に彼女は座った。ごく自然な行為だし、問題ないはずだった。
彼があのままバスに乗ってさえいれば。
「かさ」
ぼんやりしてると声をかけられる。彼がこっちを見ていた。
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