ダル・セーニョ

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「……」 青年はピアノの蓋を閉じると、 「信じてくれた?」 と尋ねて来た。 「はい……っ。 あなたは、間違いなく如月奏——さんです……!」 大の大人が啜り泣くなんて情けない、とも思ったが、 それよりも尊敬する作曲家と対面し、即興の生演奏を聴かせてもらえたという感動で胸がいっぱいだった。 「分かってもらえて良かった。 で、俺も訊きたいんだけど」 青年——如月奏は椅子から立ち上がり、響の顔をじろじろと覗き込んだ。 「あんたは誰なの? ここ、俺の家なんだけど」 「……っ、あー……」 何と言えばいいのやら。 この家を内見していた——いや、内見といっても競り落とすつもりはさらさらなくて—— あれ?というか、如月奏が生きてるなら家が売り出される訳ないじゃないか! だいたい、この人が如月奏だと俺は自分で認めておきながら、なんで彼が生きていて、そしてこんなに若々しい姿をしているのか未だ分かってない。 とりあえず、自分の素性だけは先に話しておくべきか。 「……俺の名前は、皐月響と言います」 「サツキキョウ」 「23歳の、音響機器メーカーに勤める会社員で——あっ、そうだ! 前にも一度、仕事でこの家にお邪魔したことがあります! 購入者へのアフターケアとして御宅訪問をさせて頂いたんです」 「音響機器メーカー?あんたの会社から、俺何か買ったっけ」 「カワハってブランドを出してるメーカーです。……ご存知ないですか?」 「……聞いたことはある……けど、そこの製品を買った覚えはない。 あんたに会った覚えもない」 「俺が訪問した時に応対されたのは執事の御老人でした。 屋敷の主人——奏さんは不在だから代わりに、と」 「俺、執事なんて雇ってないよ」 ことごとく話が噛み合わず、奏の表情から疑念の色が見え隠れしている。 響は歯痒さを覚え、今度は奏について尋ねた。 「あのっ……奏さんって、43歳ですよね? テレビで見た時も、もう少し、こう……歳を重ねた感じの姿だったというか……」 「俺ハタチだよ。あんたより歳下」 「えっ?えっ?」 「どうやったらそんなに老けて見えるの?俺のこと」 奏がむっと唇を尖らせる。 「す、すみません、今目の前にいるあなたは全然老けてないです!」 響は慌てて謝りつつ、 「ええと……俺と同い年ってことは、平成××年生まれですよね?早生まれでなければ」 と確認した。 「え?」 奏が眉をひそめる。 「平成××年って、来年の年度だけど?」 「え?いやいや、23年前ですよ! それに今はもう平成から令和に変わったじゃないですか」 「レイワって何」 「え——」 響が固まっていると、奏は腰に片手を当て、小さく息を吐いた。 「さっきから、あんたの話は要領を得ない。 ——とにかく、俺が聞きたかったのはなんであんたがここにいるのかってこと。 それから、どんな理由にせよ出てってくれない? 通報はしないから、作業の邪魔をしないで欲しい」 「……待って、ください……」 響は声を震わせると、顔を真っ青にして言った。 「この家にテレビはありますか……?」 「?あるけど。隣の部屋に」 「ちょっとテレビ点けてもいいですか!?」 響が食い入るように頼むと、奏はその勢いに押されたのか 「それで出てってくれるなら、まあいいよ」 と仕方なさそうに呟き、隣の部屋へ響を案内した。
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