天才作曲家の死

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——皐月響、23歳。 彼はピアノ教室を開いていた母親の影響で、幼い頃からピアノに触れる生活を送ってきた。 小学生の頃、周囲でピアノをやっている男子は響だけだった。 クラスメイト達が放課後集まってサッカーをしたり、野球クラブで汗を流したりといった時間を過ごす中 響はまっすぐ家に帰り、ピアノを練習する日々を送った。 本当は自分も他の男子と同じように 何でもいいからスポーツクラブに入って、思いっきり汗を流して、仲間と笑い合いたいと望んでいた。 ピアノの前では、いつも一人。 自分とピアノ。自分と楽譜。 譜面と見つめ合い、譜面の指示の通りにピアノを弾く。 面白くなかった。 譜面に書いてある旋律を、書いてある通り弾いていくことに 何の楽しさも見出せなかった。 そんな響の価値観を180度変えるきっかけとなったのが、如月奏という存在だった。 母親のピアノ教室では年に一度、ピアノの発表会を開いていた。 その発表会で演奏する楽曲は、生徒たちの力量に合わせて母親が決める。 響もまたこの発表会に参加しており、楽曲は母親が選んでくれていた。 そして小学校6年生の時、響に与えられた発表会用の楽曲が 如月奏作曲『2月のセレナーデ』だった。 同名の映画のために作られた楽曲で、 映画自体は観たことのない響だったが、 『2月のセレナーデ』という名前だけは耳にしたことがあり、有名な作品だという認識は持っていた。 この『2月のセレナーデ』は映画業界では絶賛される一方で、観る人の好き嫌いが大きく分かれる内容らしい。 しかしテーマ曲が「人の心を揺さぶる名曲」として一躍有名になったことで 映画を観ておらずとも『2月のセレナーデ』という音楽は聴いたことのある国民が多くいるという奇妙な現象が起きていた。 響も、響の母から「映画の内容は子どもが理解するには難しすぎる」と言われ、映画を観せてはもらわなかったものの 楽曲のCDを買い与えてもらったため、楽譜を読み込む前にそれを一度流してみたところ、 聴き終わる頃には大粒の涙を溢していた。 音楽を聴いて泣く。 こんな経験は初めてだった。 心をぎゅっと掴み、激しく揺さぶり、強く訴えかけてくるような旋律。 こんな音楽に出会ったのは生まれて初めてのことだった。 『2月のセレナーデ』を聴き終えた時、響の心に 『弾きたい。この音楽を奏でたい』 ——そんな強い思いが芽生えていた。
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