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たくさん練習して臨んだ『2月のセレナーデ』を発表会で見事に弾き切った響は母親から絶賛され、そして母親が発表会に招いていた音楽関係者たちからも称賛された。
『響にはピアニストとしての才能がある』
周囲がそう口を揃えて言い、響もまた、自分には特別な才能があることを自覚した。
才能というのは演奏の技術ではなく、楽曲に対してのめり込み、寄り添い、共感できる能力に長けているということだった。
『2月のセレナーデ』で音楽の素晴らしさを知った響は、そこから能力を開花させていった。
この楽曲はどんな風に弾いて、どう魅せれば
聴いている人の心に届くのか。
作曲した人の意図を汲み取り、聴く人の心に刺さるであろうツボを分析し、
その音楽の魅力を最大限に引き出した演奏を自分の指先で再現することができる。
『皐月響が弾くと、その音楽の良さがより伝わってくる』
響のピアノはそう揶揄され、中学では様々なコンクールの賞を総なめにした。
音楽科のある高校に進学し、日本有数の音大に進んだ響は、大学を卒業した暁にはプロのピアニストとして活躍する未来を確信していた。
響はどんな楽曲でも難なく演奏できる技術を持っていたが、中でも特に如月奏が作曲した音楽を演奏することに定評があった。
小学6年生で『2月のセレナーデ』に出会って以来、作曲家としての如月奏に関心を持った響は彼の作った音楽を片っ端から聴き、演奏した。
そのどれもが響の心に刺さるものばかりで、
彼の音楽はまるで自分の代弁者でもあるかのように錯覚していた。
そんな響に転機が訪れたのは、大学1年生の冬だった。
寒波の来ていたある夜、走らせていた自転車が凍った路面で転倒し、右手の指を骨折してしまったのだ。
バイトの帰り道だった。
一人暮らしをしているアパートに徒歩で帰るには遠く、バスも通っていない時間帯。
タクシーを使うようなお金の余裕はない。
だからその日も自転車に乗っていた。
危機管理能力が無かった。自己責任。自業自得。
誰に言われずとも、悪いのは自分自身に違いないことは理解していた。
主旋律を奏でるために必須の、右手の親指、人差し指、中指を骨折した響は
治っても元のように自由に指を動かせるようになるのは不可能だと医師に告げられ——
「プロのピアニストになる」という夢は絶たれた。
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