(前編)

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(前編)

 職場の同僚のミカが、交際4年目の彼氏と別れた。まあ、彼氏の浮気のグチをミカからさんざん聞かされてきたわたしにしてみれば、遅すぎた破局だった。  アラサー目前でヒモまがいのクズ男とキッパリ縁を切ることができたんだから、むしろラッキーだと祝福してやりたいのが本音だけど。当の本人は、失恋の痛手いちじるしく。涙で腫れぼったく湿ったマブタが目につく朝も多い。それに、しっかり者のミカには今までありえなかったケアレスミスがタテ続き、仕事にまで如実に支障が及んだ。  ついに見かねて、職場のムードメーカーを気取るわたしが一肌脱ぐことにした。ミカとは入社以来の同期のよしみもあるし、プライベートでもそこそこ仲良くしている。  そこで、都会の喧騒を離れ、人里離れた山奥で、今をときめく"女子キャンプ"に2人でシャレこもうという計画をたてたのだ。満天の星空を眺めながら、とっておきのワインとチーズで舌鼓を打ち。男子どもが震えて逃げ出すような下世話なぶっちゃけトークで一晩中花を咲かせれば、きっといい憂さ晴らし(うさばらし)になるはず。  なんなら思い切って、無人島みたいな離島で本格的なアウトドアにチャレンジしてみるのはどうだろう? 完全初心者の女子キャンパー2人に手取り足取り優しく手助けしてくれるワイルドなサバイバル男子との出会いなんてのもワンチャンあるかもよ……などとバカげた妄想を披露してやるうちに、最初は渋っていたミカも、だんだん興味を示しはじめた。  ――鉄は熱いうちに……とか言うし。わたしはミカの手を引っぱって、仕事帰りに職場の最寄りのアウトドア用品店に寄ってみることにした。20代前半のイケメンの店員さんにロックオンしてアドバイスをねだる。テントの設営まで実演してもらったり。せっかくだから、わたしたちの専属ガイドとして同行してくれない? って冗談交じりに言ったら、さすがにちょっと引かれた。でも、代わりに、360度見わたす限り全方位もれなくSNS映え間違いなしの絶景の孤島の情報を教えてくれた。 「八丈島からボートをチャーターする以外にマトモな交通手段はないんですけどね。本格的なキャンプを楽しみたいなら絶対に穴場ですよ。手つかずの自然に囲まれた離れ島がまるごとキャンプ地として開放されてるんです。このへんじゃお目にかかれないカラフルな色の草花や、いろんな野生動物もたくさん見られます。ウワサじゃあ、絶滅したはずのニホンオオカミが生き残ってるとか……」 「オオカミ? やだっ、怖い!」  わたしは、思わず声をうわずらせた。  ミカも、丸っこい童顔を引きつらせている。  イケメン店員は、爽やかに白い歯を見せて、 「いやいや、単なる都市伝説のタグイですってば。あの島に危険な害獣はいやしませんよ。なるべく人間の手を加えないようにしてるとはいえ、しょせんキャンプ場ですし。それに、当店オリジナルのテントには、野生動物がイヤがって近寄れない特許の塗料が使われているんです。このテントの利用者による獣害被害は、販売以来一度もありません。南米の奥地の探検隊にも採用されています」  とびっきりの営業スマイルに魅了されたわたしとミカは、勧められるまま、重さ1キロ未満の軽量かつ超コンパクトに折りたためる害獣除けテントをはじめ寝袋だのテーブルセットだのランタンだのと、目ぼしいキャンプ用品をイッキに会計してもらうと、しがないOLの手取りの月給が半分近く飛んでいく金額になった。ミカが全部1人で支払うと言ってくれたときは、驚きとともに内心すごくホッとした。いつの間にか、言い出しっぺのわたしよりもミカのほうがキャンプに乗り気になってくれていたことは、もちろん、なにより嬉しかった。 「女性2人だけで、いきなり離島でキャンプデビューなんて。無謀すぎない?」  という上司の苦言をヨソに、わたしとミカは週末に有休をプラスして、意気揚々と八丈島行きの飛行機に乗った。  空港からバスに乗り換えチャーターしたボートを探して波止場に着く頃には、大荷物をかついでの慣れない遠出で、すでに軽い疲労を覚えていた。「やっぱりキャンプなんてメンドくさいことやめて八丈島のリゾートホテルでのんびり過ごそうよ」と笑いかけてくる自分のヒザをペシペシ平手打ちして気合いを入れ直し、わたしたちは、小型のモーターボートに乗り込んだ。 「東京から女の子2人組の予約があったって聞いたからさ。せっかくだから、オレに島の中をいろいろガイドさせてくださいよぉ」  と、操縦士の男は開口一番、デレッと目尻を下げた。ハデなアロハシャツに短パン姿だけど、ほうれい線がひときわ目立つ顔だちは、どう見ても40代なかばは超えている。無造作に毛先を遊ばせた長めの茶髪とゴールドのピアスが、さながら、(とう)のたった場末のホストという感じ。  下心(したごころ)ムキ出しの愛想笑(あいそわら)いに、わたしとミカは閉口した。 「けっこうです。お気づかいなさらずに」 「つれないなぁ。わざわざ休みを返上してきたのにさぁ」 「は? キモすぎっ!」  うっかり、心の声がダイレクトに口から飛び出てしまった。
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