門番

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「母さんもそうだし、父さんもいつも心配というか、ナギサを大事に思ってるんだよ。もちろん、ミカのことも」  あたしと姉の顔を交互に見つめながら、父親は言葉を続けた。 「だから何においても、最初の一回目っていうのは慎重にならざるを得ない。別に悪気はないんだ」 「なに、パパ。今日やけに優しいじゃん。なんか背筋が寒いんだけど」 「それなら、ミカは味噌汁でも飲んで暖まりなさい」  姉の軽口にも冗談で打ち返した父親は、なんだか別人みたいに穏やかな空気をまとっている。どうしたことだろうか。  短く咳払いをした父親が、そろりと言った。 「どこに泊まるのかが決まったら伝えること、そして、旅行中はちゃんと連絡が取れるようにしておくこと。……それが守れるのなら、行ってきたら良い。まとまった時間があるのは、今のうちだけだしな」 「え、許可してくれるの」 「なんだ。不服か?」  思いもよらないスムーズな許可を得て、いや別に嫌じゃないけど、とあたふたしてしまった。父親は今度こそはっきりと笑いながら、言った。 「管理することで父さんや母さんは満たされるが、二人はいつまでも満たされない。なんの経験もなく、いざ自分の足で歩けって言われても困るだろうからな。最近な、父さんや母さんがいつまでも子離れできないのは良くないことだと思えてきたんだ」 「いいの? お父さん。どうせ心配でやきもきするのにねえ」と困ったように言う母の眉は、すっかりハの字になっていた。 「そりゃ心配はするさ。でもそのせいで信頼できないのは、それもなんだか違うように思えてきただけの話だ」  あたしももう二十数年、この人たちの子供として生きてきている。あんな堅物な父親が、急にこんなふうに態度を軟化させるということは、きっと何かきっかけがあったはずだ。  せっかく得た許可が取り消しにならないよう、きわめて丁重に訊ねた。 「お父さん、あたし、なんとなくわかったんだけど」 「ん?」 「同じ会社の人とかから、何か言われたんでしょ」 「言われたというか……あー。まあ、ちょっとな」  聞けば、父親の同僚も、我が家と同じく子供に対して厳しく接していたらしい。しかしその子供が春から大学に入って一人暮らしを始めた途端、とんだチャランポランになってしまったのだそうだ。蓋を開けてみるとまともに大学に行っておらず、教務課から実家にチクリの電話がかかってきて発覚したのだという。  上から強く抑えすぎた結果、勢いよく弾け飛びすぎたんだって言っていたよ……と、父親はあたしと姉の顔を見比べながら笑っていた。 「まあ、そういうことでな。親が子供に対して過保護すぎるのは、却って本人たちを苦しめることになる場合もあるんだってことを知ったわけだ。いくつになっても勉強だな」 「あーあ。それ、あと二年くらい早く知ってほしかったなあ、パパたちには」と、姉がわかりやすく落胆した。 「勘違いするなよ。父さんたちは、これからも間違っていることには、はっきりとダメだって言うからな。……でも今回の場合は、良いよ。楽しんできなさい」  父親が味噌汁を啜っている数秒間、あたしは声をあげてケラケラ喜んでいいものなのか、慎ましく「はい」と返事をすべきなのか迷ってしまった。  これはあたしへの信任だと捉えてよいものか。あるいは娘があらぬ方へ飛んでいかないよう一定の自由を許すという政略的な判断なのか。結局その答えが出せないままでいたら、父親はお椀を静かにテーブルに着地させつつ、あたしに声をかけてきた。 「ただ、彼に何かされたらすぐに言うんだぞ、ナギサ。一発殴ってやるから」 「お父さん、絶対一発だけで納得しないじゃん」 「そうかもしれない。よその家は知らんが、自分の子供が傷つけられるのなんて、俺は許せないからな」  ははは、と鷹揚に笑う父親がどこか別人にさえ思えてきた。  でも、きっとこれが本来の父親の人柄であるような気がした。ある程度のことは自分で決められるようになって、中途半端に知恵をつけてくる年頃のあたしたち姉妹が間違った道へ進まないよう、敢えて悪者になってくれていたのだろう。それが今回のことで、ようやく(この子たちも分別のつく、立派な大人になった)と思ってくれたのだ。  おそらく。  たぶん。  そうであってくれ。  だから、そんな想いを込めつつ、返事をした。 「大丈夫、お父さん。……あたしにはもったいないなーって思うくらい、素敵な人だから」 「そうか」  一息吐いて、静かに父親が呟いた。 「まあ、ナギサが選んだ相手なら、きっとそうなんだろう」  固く閉ざされていた門の扉が、ゆっくりと開いていく。誰も血を流さず、純粋な対話のみによって、平和的な解決が導かれた瞬間。  どんなメディアにも載らない一瞬だが、このときの父親の少し寂しそうな微笑みは、この先もあたしの記憶から失われることはない。根拠はないけど、そんなふうに思った。  何食わぬ顔で、もう一度味噌汁を口に運ぶ。  いつもよりしょっぱい味がした。 /*end*/
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