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「泊まり旅行は、ちゃんと社会人になってからにしなさい」
「なにそれ。大学から返還不要の奨学金をもらったあたしで『ちゃんとしてない』なら、この世の中なんて誰もちゃんとしてないじゃん」
あたしは猛然と言い返した。しかしこれは事実だ。たまたま一年生の成績がよかったのである。自分でもびっくりしたけど。
「別に学業の話をしてるわけじゃない。まだあんたたちは子供なんだからね」
その言葉に「ハタチ越えて子供呼ばわりはさすがに心外なんですけどー?」と、姉があたしより過敏に反応した。
あたしほどじゃないけど、姉もすぐに食ってかかってしまうタイプの女である。なんなら本気で怒ったらあたしより怖いと思う。
「大学生活も折り返しに入った娘たちは立派に大人でしょう、ママ。親としてはともかく、対外的に見れば明らかに、私もナギサも大人だよ?」
「ミカは四年生だからまだしも、ナギサはまだ三年生なのよ。せめて就職先が決まってからじゃないと」
「なんか関係あんの、それ。あたしは自分で読み書きできるし、お箸だってちゃんと使えるよ? ほらほら」
厭味ったらしく、あたしは目線の高さで箸をパクパクさせた。今は父親の存在より、母親の存在のほうがはるかに疎ましかった。
イライラする。一体何を勘ぐっているのだろうか。遠くに出かけることが危ないというなら行くこと自体を止めようとしてくるのに「日帰りならまだしも」ってことは、何を想像しているのか。自分の娘をそんな蓮っ葉な女だと思っているのなら、それは紛れもない侮辱だと言わざるを得ない。
「だいたい、ナギサが一度言い出したら絶対考えを曲げないのくらい、ママだって分かってるでしょ。認めてあげなよ」
あたしがだんだん落ち着きをなくしていることに気づいたのか、姉は隣でそんな消火弾を撃ってきた。それでも母親も引き下がる気配を見せない。たとえ刺し違えても、絶対にこの門を護り切るという気概さえ感じられる。
というか、なんであたしが悪者みたいになってんの? 年頃の娘が家族以外の誰かに恋をするのって、そんなに悪いことなのかよ。やっとこできた彼氏なのに。売れ残ったら売れ残ったで文句言うくせに。
「だから落ち着いて考えなきゃいけないのよ。ミカだって我慢してきたのに、ナギサだけ許すのは――」
「そういうことなら、私は別にいいと思うよ? というか、今しかできないことをさせてあげないほうがよっぽど許せないな。私はできなかったから、ナギサにはそんな思いしてほしくないもん」
きっぱり言い放つと、姉は再び箸をつかみ、大皿でだらけている野菜炒めをむしゃむしゃと頬張りはじめた。もう言いたいことはないしなんなら話しかけてくんなよ……という心境が、姉の口の中でボリボリ噛み砕かれるピーマンの断末魔から感じ取れる。
私はできなかったから……というところの語気が他の言葉より強かったことも。彼女なりの憤懣の表しだったのだろう。
「まったく……」
母親はそう嘆息していたが、何がどう「まったく」なのか、あたしには少しもピンとこなかった。それはあたしにはまだ親になった経験がないからなのかもしれないが、あなた方だってかつては子供の側で同じ経験をしたことがあるんじゃないのか。そう思えてならなかったあたしもまた、かたく口を閉ざした。
「ナギサ」
しかしながら閉じていたのはほんの一秒くらいなもので、すぐにラスボスたる父親によってこじ開けられた。あたしは不満さを隠さずにこたえる。
「なに」
「母さんの気持ちも、分かってやってくれ。いくつになったって、親は子供の心配をするもんなんだから」
「それはわかるよ。あたしがろくでもないダメ男に捕まってるんじゃないか……って思う気持ちだってわかってる。でもさ、あたしだって」
「まあ、まあ。待てよ。そこまで言ってない」
不思議だった。身振り手振りをしながら、待て、という父親の表情には微かな笑みが滲んでいたのである。いつも仮面みたいに変わらない父親の表情がそんなふうに歪むのは、いつぶりかわからないほど久々だった。
ああ、でも、そういえば――。
あたしたち姉妹がもっと小さい頃は、いつもあんな顔をしてた気がする。
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