太陽side

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太陽side

飲食店特有の昼の慌ただしさが落ち着いた頃、ようやくテーブルの片付けをしようと思って誰もいない窓辺へ足を向けた。 「……忘れもん?」 食べかけのサンドイッチと、飲みかけの冷めきったコーヒー。白いメモ帳にはなにかの筆跡を隠すようにぐるぐるとボールペンで塗りつぶされている。 その傍らに置かれた一冊の本。 題名は、難しい漢字で読めなかった。 その代わり、作者の名前は読みやすくて何となく記憶してしまった。 天井蜜柑。 てんじょうみかんか、あまいみかんか。たぶん後者だろう。 ミカンが好きな作者なのか、甘そうな名前だなと思ったがぺらっと捲った中身はなんだか難しそう。昔から小説とか小難しいものは好まなかった。文字が長々と並んでいるのをみるとどうしても眠くなってしまう。学生だった頃は小難しい医学書も読めていたはずなのに、今ではさっぱりだった。 忘れ物だったら気づいた頃に取りに来るだろうと、レジ横備え付けの忘れ物BOXへ入れに行く。おもちゃやらボールペンやら、意外に本の忘れ物も他に何個かあるようで並べるようにその横へ置いた。 いつからこのBOXにいれられているのかも分からないものもある。忘れ主が取りに来ないことも多々あるため時期が来れば廃棄されるのだが。 「……」 今しがた入れた本はくたびれた様子もなく真新しいものだと思った。帯に破れなどもなく新書独特の香りを先程感じた。 買ったばかりだろうに、なぜ忘れたのだろうか。 まぁそのうち取りに来るだろうと思い、夕方の忙しい時間帯になれば自然とその本の存在のことは忘れていた。 ***** 平日だからと舐めてかかったバイトは思いのほか忙しく、一日を通して忙殺された。座る暇もなく走り回った足は棒のようで、何回も何回も食器とともに洗われた手はカサカサしていた。 家から10分ほどのバイト先は個人経営の喫茶店で、常連組が多い。長居してぺちゃくちゃ喋り倒すおばちゃん組もいれば、新聞とにらめっこしてコーヒー飲み終わったらさっさと帰るおじさんもいる。4年もバイトしていれば常連の顔も名前もさすがに覚えていて、新規の客は逆に目立つ。 今日、本が忘れ去られていたあの席には2人のご新規さんが座っていた。 「……あまいみかん」 ふと思い出した作者の名前。 思いのほか記憶に残っていたその甘そうな名前。俺は知らないけど、本を出してるくらいだからおそらく有名な人なんだろうと何気なくネットで調べてみる。 しかし出てきた本はあの一冊だけで、他は見当たらない。デビューしたてなんだろうかとも思ったが、刊行年数はそれなりに前の年だった。 レビューは賛否両論であまり参考にはならない。刺さる人には刺さる程度なんだろうが、新人賞受賞作品らしくレビュー数はそれなりにある。 新刊を出す予定もなければ、他に雑誌などへ寄稿したこともないらしい。さすがにこれでは生活できないだろうと本名も顔も知らない人に同情してしまった。 「んー……、あ」 他になにか情報はないかと探しているうちに某つぶやきサイトへ飛ばされた。 本は出していないけど、それなりに呟いているらしく日はそんなに空いていない。今日も呟いている。 ーー今日もご飯が美味しい。 「…………」 なるほど。 どうやら同情するまでもなかったようだ。ご飯が美味しいに始まり、明るい未来を想ってのつぶやきだったり、明日も楽しみだとウキウキしていたり。 「ふーん……」 こんなかけない小説家でも、未来は明るいのか。 明日を楽しみだと言えるのか。 飯が美味いと呟けるものなのか。 同情した数分前の自分が馬鹿らしい。そもそも、同情なんてできる立場でもないのにとんだ上から目線だ。 中学から、医者を志した。 勉強は得意じゃなかったが、夢のための勉強はそれなりに捗った。知らないことを知れる勉強は楽しくさえ感じた。覚えることも多く、多角的に見る力も必要で、結局俺は医大生の途中で挫折した。それでも身につけた知識はもったいなく、人に寄り添える職業につきたいと看護師になった。しかし、人間関係で挫折した。業務内容も忙しかったが、それよりも職場環境に馴染めなかった。 結局やめた。 やめて、あのカフェでバイトし始めて4年。明るいと言えない性格上、接客仕事は向いてないと思ったが思いのほか継続できている。店員と客というだけでそこまで深く関わる必要もなかった。仕事仲間も、そんなに深入りしてくるような性格ではなかった。 結果、俺はこの4年間新しい友人もできず今を生きている。 ーー明日が楽しみだ。 「…………」 明日なんて、大して楽しみじゃない。 そんな俺が、この人に対して向ける感情が同情なんて、笑えない冗談に過ぎないのだ。
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