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「なあ兄貴」
点滴の透明な雫がポツリポツリと落ちていく。
「親父が死んだときさ、色々悔しかったよな。救助も遅れたし、医者がいなかったし、ヒーローもこなかった」
「うん、そうだな」
膝で組んだ兄貴の拳に血管が浮き出ている。
「兄貴は『忙しいんだろう』って言ってたから、『だったら僕が人助けできる人になればいい』と思ってた。天国に旅立った親父に心の中でそう誓った。……兄貴もそう思ったから医者になったんだろ? だけど」
現実を目の前にして思い知った。
「命を救うって、命懸けなんだな。今更ながら怖かったよ」
「そうだな。人命救助は簡単じゃない」
兄貴は窓の外で揺らめく木の枝に視線を流していた。
「崖っぷちに立たされた人の足首には死神がしがみついているんだ。だから迂闊に手を伸ばすと、その人ごとあの世に引っ張られる。とても危険なことなんだ」
そうか。兄貴もそういう思いをしてきたのか。
「口や顔には出せないが、手術のときにはいつも吐きそうになるよ。100%の患者を助けられる訳じゃないしさ。命の現場は、何処も過酷で残酷なんだ」
「……だよね。なら、親父のことも誰も悪くはないんだなと思ったよ。全力を尽くして、それでも及ばないことだってあるんだと」
「そう思うのなら、もう特別救助隊は諦めろ。お前の夢に口出しするのもと思っていたが、これ以上大事な家族を事故で失いたくはない」
カタリと軽い音を立てて、兄貴が椅子から立ち上がった。
「……回診の時間なんでな、行ってくる」
多分徹夜だったんだろう。頬の皺に疲れがくっきりと浮き出ているのが申し訳なかった。
すると、それと入れ違いのようにして一人の女性が恐る恐る「あの……」といいながら病室に顔を出してきた。
「あなたに助けて頂いた子どもの母です」
申し訳なさそうに、肩を狭めて深々と頭を下げる。
「お陰様で子どもも大した怪我ひとつありませんでした。どうお礼を言ってよいやら。それと大怪我をされたこと、大変申し訳なく」
「え? ああ、いえいえ! あれは僕が勝手に飛び出しただけですから。それに小さな子どもさんがテレビでしか観ないヒーローを見て興奮するのは当然です」
僕も、小さな頃はモグレンジャーに憧れてたっけ。
「それに、ヒーローは人助けするのが仕事じゃないですか。はは……」
ああ、ヒーローが実際の人助けをすることって、あるんだな。まさか自分でそれをやるとは。
母親は「後で子どもを連れて改めて御礼に伺いたい」と言っていたが、僕は丁重に断った。
だって、ヒーローに『中の人』なんていないんだから。「『鎧漉雨はレンジャー基地へ帰った』と伝えてください」と、お願いしておいた。
うん、それでいい。
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