欠けたコトバと私たち

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 四限の講義が終わり、くっと腕を前に伸ばす。仕方ないけれど、百分間も同じ姿勢のままだと体が凝る。 「そら、今日もうこのまま帰る?」  友人に声をかけられ、立ち上がりながら数秒考える。 「んー。図書館で期末レポート進めてから帰ろうかな」 「偉っ。あれって期限再来週だよね」 「早くやらないと忘れちゃうの」  一緒にやる?  形として一応誘ったものの断られ、一人で傘をさしてキャンパスの端にある図書館へ向かう。外は梅雨真っ只中らしく本降りの雨が降り続けていて、図書館の中は七夕の時期らしく笹が置いてあった。  去年も笹と短冊が設置されていて、「単位落としませんように」というお願い事を見ながら落単したらどうしようと不安になっていた。  大学生活二年目になってわかったことは至ってシンプルだ。落とす人は落とすし、落とさない人は落とさない。  雨の日の図書館はより静まりかえっている。パソコンを開き、書きかけのレポートに取りかかった。  文末を、ことである、で終わらせようとして予測変換に指が止まる。 「コトバ持ち」  授業の暇なタイミングでなんとなく検索をかけたのがいけなかった。  言葉に関して特殊な能力を持っている人のことを、コトバ持ちと人は呼ぶ。割合は人口の〇.五%と言われていて、少ないけれど一定数存在している。  能力の中身は人によって異なり、家系の中で唯一コトバ持ち仲間であった祖父の力は動物の声が自分の母語、祖父にとっては日本語で聞き取れるというものだった。知りたくないものも知れてしまう、と祖父は亡くなるまで動物を避けていた。  私は、逆言霊(ぎゃくことだま)の力を一応持っているコトバ持ちだ。自分が言ったことと正反対のことが起こってしまう。  あそこ行きたい、と言ったお店が閉店したり。雨降らないといいな、と言ったら降り出したり。偶然にしては不自然で母が祖父に相談したところコトバ持ちに関する数少ない資料を見せてくれて、逆言霊の能力だと判明した。  口に発さなければ逆言霊は発動しない。なのでコントロールはしやすく、自分が逆言霊の力を持つコトバ持ちということにも大して悩むこともなかった。  逆言霊が心底怖くなったのは、姉の高校受験のときだ。 「すごい。お姉ちゃんなら絶対受かるね」  難易度の高い大学なのに模試でA判定を出した姉に対して、つい口にしてしまった。  私が受かると言ったらそれは、受からないという呪いの言葉になってしまう。しまったと思ったけれど、優秀な姉なら逆言霊もきかないだろうとすぐ楽観視した。  結局、姉はその大学の受験で失敗した。それ以来私は、自分の願いや思いを下手に発することをやめた。  逆言霊の力を使ってしまうことも無くなったけれど、自分の言葉を制限することにもなってしまって、少し寂しさもある。  キリのいいところでレポートを終わらせ、図書館の出入り口にある傘立てから自分のものを取る。  雨の日の雰囲気はわりと好きだけれど、降りが強いと少し嫌になる。  傘を開こうとしたとき、隣の傘立てから傘を取り出した男子学生がぽつりと呟いた。 「雨が弱まりますように」  しかし、雨の強さは変わらない。  思わず隣の顔を見る。相手は聞こえていたと思っていなかったらしく、私と目が合うと唇をきゅっと結んだ。  コトバ持ちには、私とは逆の、言霊という力を持つ人もいる。言ったことを叶えられる力だ。  言霊の力は、逆言霊のコトバ持ちの前では発動しない。逆もしかり。 「雨降り続けてほしいな」  思わず口にしたけれど、雨が止む様子はなかった。  やっぱりこの人、間違いない。 「……コトバ持ちですよね。それも、言霊」 「正解です」  少し癖がかった栗色の髪の男の子は、困ったように眉尻を下げながら微笑んだ。
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