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それは嘘だったが、俺は必死に笑って見せたし、熱に浮かされている様子のマリアは、ぼんやりとしているようで、何も言わなかった。
外へと出た俺は、空に輝く太陽の白さを忌々しく思いながら、貧民街を抜けた。
少し進んで孤児院の壁を見る。だがその横も通り過ぎて、裕福そうな商人や貴族が足を運ぶ事が多い飲食店街を目指した。
俺の身なりでは逆に目立ったから、皆が俺を避けようとした。
暗黙の了解で、貧民街に生きる俺のような者はいないものとして扱われている。
でも俺にとっては、きちんと俺もマリアも存在する。生きている。そして、生き続けるためには、薬を買うお金がいる。体力をつけるために食べるパンもいる。俺はその二つを手に入れるべく、ここまで来た。
俺はそれまでに、盗みを働いた事は一度も無かったが、妹を助けるためだと決意していた。
しかし手法が分からない。
そう思っていると、丁度停まった黒い馬車から、黒い外套を纏った貴族が一人、護衛もつけずに降りてきたのが見えた。
俺は全力で走って、ぶつかった。貴族は財布を外套に入れていると聞いた事があったから、ぶつかった時に、すろうと思った結果だ。
「危ない」
だが、俺はその青年に抱き留められた。
――失敗した。
そう気づき、目を丸くして、俺は真っ蒼になった。
そんな俺を両腕で抱きしめている青年は、黒い髪の上に、黒いシルクハットをかぶっている。紫と闇を混ぜ合わせたような、綺麗な瞳をしている。僅かに釣り目だ。俺は過去に、こんなに綺麗な瞳を目にした事は無かったから、一瞬だけ見惚れた。
「大丈夫? 怪我はないかな?」
「……っ」
そもそも、ボロ布のような汚れた服を着ている俺を、あっさり抱きしめる貴族というのは、後々考えれば非常に珍しいとしか言えなかった。
「名前は?」
「……」
「僕は、ジェフリーというんだよ」
そう言って俺の体から両腕を外すと、右手でその青年は、俺の頬に触れた。そして親指で、俺の頬の汚れを拭った。
「ふぅん。中々綺麗な顔立ちだね。碧眼がキラキラしている。何歳?」
それを聞いた時、俺は別の意味で蒼褪めた。娼婦をしていた母似の俺は、母譲りの美貌だと、時に囁かれ、おかしな貴族に押し倒されそうになった事が何度かあったからだ。その都度、殴って逃げてきた。
「ここで、何を?」
「……」
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