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「言葉が分からない?」
「……」
「――僕は、食事に来たんだ。お腹が減ってしまってね」
青年……ジェフリー様は、そう言うと、今度は俺の唇を人差し指でなぞった。俺が後退ろうとすると、もう一方の手を俺の腰に回した。そして目を伏せる。長い睫毛、端正な顔、それが俺の正面に迫り、驚いて硬直している内に、俺は唇にキスをされた。触れるだけの優しいキスだった。
「ごちそうさま。ああ、もしかして、君もお腹がすいているのかな? 僕の趣味は、孤児院への寄付で、ね。どうぞ、良かったら」
ジェフリー様はそう言うと、あっさりと再び俺を腕から解放し、懐から取り出した財布から、紙幣を二枚手にして、俺に差し出した。俺はそれを奪うように右手でとり、すぐに走った。すりには失敗したが、気が変わられては困るし、あれ以上何かされるわけにもいかないと思っていた。
その金で無事にパンと薬を買った俺は、数日後、マリアが回復した時は、本当に嬉しくなった。同時に――やはりスリをしてでも、生きていかなければならないと決意し、残った金で、平民に見える服を買った。街にまぎれこめる身なりをし、そしてその日、初めてすりに成功した。罪悪感はあったが、生きる事に必死だった。
そうして俺は十五歳となり……盗みをはじめて二年が経過した頃、俺は転機となったあの日に見たものと同じ、黒い馬車を見つけた。
降りてきた青年は、全然姿が変わらっていなかった。
ジェフリー様、だと、すぐに分かった。
以前は大人に見えたけれど、今は俺よりも少し年上くらいだと考える。
――十八歳くらいだろうか?
子供には見えないが、二年前に抱いた印象よりは、ずっと身近に思えた。
「おや?」
「……」
俺の方は二次性徴が始まったばかりだったが、背が少し伸びていたから、気づかれない自信があったし、たった一回会っただけなのだからと、素通りしようとした。一度助けてもらったから、カモにはしないと決めながら。だが、横を通り抜けようとした俺の左手首を、ギュッとジェフリー様が握った。焦って俺は息を呑む。
「久しぶりだね。会いたかったんだ、孤児院を何軒も探したんだけど、結局見つけられなくてね」
「……」
「今度こそ、名前を教えて? 僕のことは、覚えてる?」
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