人生、紙吹雪

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 やまちゃんという芸人として、最後のステージの日がやってきた。  私はたかよと一緒に観客席から、見守る。  本気やろか?  今まで何回言っても真面目に働こうとせんかった夫が、このステージを最後に辞める覚悟があるんやろうか?  なべちゃんやまちゃんが最後に選んだステージは、地元の文化会館で開催される興行だ。およそ300人ほどの客が、マイクの前に立つ芸人に熱い視線を投げかけている。  次がなべちゃんやまちゃんの番だ。 「お父ちゃんの漫才、これで最後なん?」 「そうや。見納めやで。しっかり最後の姿を見ときや。」 「なんか、…お父ちゃん、可哀想」 「たかよ、いつかあんたにも分かる。親は子どもが食べて生きていくために必死になるべきもんなんや。それが、親の使命や。やりたいことだけをやって生きようとすると周りの人に迷惑ばっかりかけてしまう」 「でも……。あ! お父ちゃんや。」  ついに、最後のショーが始まる。 「はいどーもー! なべちゃんやまちゃんで~す」 「よろしくお願いします」 「みなさーん。ご報告があります。相方のやまちゃんがなんと今、離婚の危機に瀕してま~す。おめでとう!」 「おめでとうやない! ややこしい家庭の事情を言うな~」 「笑うでしょ、皆さん。これね、ホンマの話なんですわ。よっ! 愛想をつかされた男。哀しさがにじみ出てるで」 「こら、こうやって家庭の事をネタにすると、わい、また嫁に怒られるんやで。」  最低の男や!  ここは地元やで。ご近所さんとかママ友がいるかかも知れんのに、わざわざ離婚をネタにするか?  もう、ここから逃げ出したい。 「お母ちゃん。会場の人が大爆笑してるで。すごいな、お父ちゃん」 「全然すごくない! ええか、たかよ。将来、絶対お父ちゃんみたいな男と結婚したらあかんで」  ただ、今日のなべちゃんやまちゃんは珍しく、ウケている。  こんなネタでウケてほしくないが。 「どうしたんや、やまちゃん。離婚になりそうな原因は何や?」 「お前や! お前が家族のことをステージでぺらぺら喋るからな……」 「ああ、やっぱりか」 「分かってたんかい! そやったらやめろよ」 「でもね…。人の不幸な話って聞いてて面白いやん」 「で、今日、決めました。わいは、絶対別れまへんで。家に帰って、『おかえり』って言うてくれる人がおらんかったら、どれだけ淋しいか。わいはアホやけども、それでも何とかやっていけるのは安らげる家庭があるからや」  夫が嬉しいことを言うから、目頭が熱くなる。 「やまちゃん、ええこというやないか。そんなにブサイクなサザエさん似の嫁が好きなんか?」 「ブサイクゆうな! ますます嫁の怒りに拍車がかかる~」 「聞いた話では、こいつのサザエさん顔の嫁は、もう芸人を辞めろとゆうてるそうですわ。それ、俺が迷惑や」 「自分勝手やなあ。大丈夫や、俺にまかせとき。今日はこんなものを持ってきました。見てください」   「離婚届や~。しかも本物や~。あかんで、こんなもんステージに持ってきたら」   「わいは、離婚はせえへんで。そやけどお笑いも辞めへん。大丈夫、もっと売れるから。な、ええやろ?」  ステージの夫は、私を見て言う。  いつになく真剣な眼差しだ。私を見据えている夫は、これまでに感じたことのないくらい、勇ましい。 「ええやろ?」  私は、なぜか否定でけへん。  愛想は尽きたつもりでも、……それでも、……悔しいけど、……やっぱり夫のことが好きや。夫の漫才もその生き様も込みで好きになったんや。  ホントは、離婚したくない。  ずっと家族で一緒にいたい。 「あ~、あかんて!」  なべちゃんが叫ぶのを無視して、やまちゃんは離婚届をビリビリに破く。そしてそれを投げ捨てると、離婚届のかけらは紙吹雪のようにステージに舞った。  前代未聞の漫才や。 「これからも、なべちゃんやまちゃんのこと、よろしくな!」  夫はステージで力強く言う。 「もうこれで、離婚はなくなりました。メデタシメデタシ。なべちゃんもこれでええやろ?」 「うん。じゃあ、やまちゃん。あの怖い嫁に内緒でいつものまちコン、行こか?」 「そこに嫁いるゆうねん! もう、ええわ」 「やっぱり、お父ちゃん、男前やで」  たかよの言葉が嬉しくもあり、虚しくもある。  アホにつける薬はないわ。とことんまでアホな男やで。  何でこんな男と結婚したんやろ。  私もアホや。  また振り出しに戻っただけ。  あ~もう、いや。  こうなったら、私がもっと働いて稼ぐしかないか……。  これも、人生か。  思い描いたような人生やないけど、でも、思いもよらないような素敵な人生なのかもしれへん。(了)
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