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終章 また、あそぼ
霊が取り憑いている、という噂が飛び交った。
取り憑いて離れてくれないらしい。三時間目の理科の授業のあとわたしは隣の席のまりえちゃんに話しかけた。
「ねぇ、まりえちゃん。どういうことだと思う?」
「いるところにはいるんでしょう」
「まぁ……そうなんだよね」
まりえちゃんはいつも通りだ。文字の小さい文庫本から目を離さない。本を読んでるところに話しかけられるのは嫌なものなのはわたしもよく知っている。返事をしてくれただけでも御の字だ。
「三年の教室だって。黒板に幽霊の絵を描いたら目だけ消えなくなったって。いくら擦っても焼けついたみたいで全然消えないんだって」
「永国寺の幽霊掛け軸みたいね」
「なにそれ?」
ふふっとまりえちゃんは笑った。
「で? その目がまばたきしたり睨んできたりするの?」
「よくわかるね」
「まぁね。気になるなら行ってみる? 見に行こうか」
「ええっ……なんか怖いな」
「海莉ちゃんは知ってるんじゃないの? 霊は、人間を脅かしたくて出るんじゃないよ。知らせたいことがあったり覚えていてほしくて出るんだよ」
「うん、そうだね……」
まりえちゃんの言葉にわたしは頷いた。
「もしかして黒板の霊は、なにか訴えたいことがあるのかな。自分の体を探してほしいとか、そういう?」
「そうかもしれない。今度、お祭りがあるでしょう? あの気配に誘われて出てきたのかも」
「そうか……お祭りってどんなのなの?」
「見てのお楽しみ」
そう言ってまりえちゃんは笑った。少しさみしそうに。
今日はお祭りの日だ。
お祭りとはいえ、まりえちゃんの言った通り楽しいものではない。神社をいつも以上に掃き清めて拝殿とか鳥居はぴかぴかに磨いた(おばあちゃんが『きよめ』だって言ってた)。『わざおぎ』っていうらしい神楽は見てて楽しかったけど動画にあがってるみたいな派手なものではなかった。衣装も少しひらひらした感じのきものだっていう以外によく見るものとあまり変わらない。なにせ小さな神社だ。お祭りといっても小規模だ。よくある夏祭りみたいに定期的に行なわれるイベントでもないらしい。ただあげられた祝詞はとても興味深かった。
「人身罷りぬれば厳の御霊は天に参上り空津御霊は奥津城に留り和御霊は霊璽に留る……」
難しい言葉ばかりで退屈なはずだけれどわたしはなぜかとても惹かれた。それが子供の魂の幸せを願うもの、特に小さな子供のためのものだからなのだろう。意味はわからないけれどとても心が穏やかになる。
今回お祭りがあったのは、神社の近くから子供の骨が見つかったからだ。それがきっかけになった。
五歳くらいの、男の子の骨。ずっと行方不明だったまりえちゃんの弟の、秀馬くんだということがわかった。秀馬くんの骨は地中深くに埋まっていた。自然にできるようなレベルの深さの穴ではない。誰かが意図的に掘って秀馬くんを落としたとしか推測できないらしい。警察がそう言っていたらしい。
当時の秀馬くんは五歳だった。五歳児の足でひとりでこの山に来られるはずはない。誰かが秀馬くんをここに連れてきて穴に落としたのだ。落としたのは意図的かどうかわからないけれど、少なくとも落ちた秀馬くんを助けはしなかった。そのまま放置した。秀馬くんが死んで、骨になって、それでも誰かに相談することもなく放置していたことは確かなのだ。そこに悪意がないなんて信じる人はいないだろう。
「この時期って、秀馬くんがいなくなった時期なの? まりえちゃんは時期って言ってたけど」
「そう。海莉ちゃんがこの時期にここに来たのって、偶然だと思えなくて」
「そうなんだ……」
なんと言っていいのかわからない。でも無理になにか言わなくてもいいのだと感じる。いつもわたしは沈黙が続くと怖じ気づいて焦っておかしなことばかりしゃべってしまう。退屈させると嫌われるって強迫観念みたいなものがあって。でもまりえちゃんと一緒にいるときには無理をしなくていいのだ。今やわたしはそのことを実感していた。
高らかにあげられる祝詞を聞いているとなんだか眠たくなった。眠いというのとはちょっと違う、なんだか意識がどこかに持っていかれるみたいな。おばあちゃんの家で、人形のるぅを抱えてきたときみたいな。どこか、ここではない、遠い場所に連れていかれるみたいな。
「海莉」
「あ、っ……るぅ?」
わたしは何度もまばたきをした。目の前にはるぅがいる。黒くてまっすぐの長い髪、白い顔真っ黒で光のない大きな目。レースのたくさんあしらわれた黒いドレス。るぅはひとりではなかった。小さな男の子と手をつないでいる。ふたりのまわりにはたくさんの女の子男の子、たくさんたくさん、数え切れないほど。いずれも子供、少し年嵩でも大人というには若すぎるくらいの見かけの子供たちだ。
るぅを中心とした子供たちがわたしのまわりを囲んでいた。たくさんの顔がわたしを見ていて戸惑った。驚きはしたけれど嫌な感じはしなかった。わたしは子供の顔を見まわした。見覚えのある顔を見つけた。
「あ、っ」
その子たちの顔には心当たりがある。わたしは、はっとした。行方不明のままの北島さんや隈本くん、菊くんに見える。
「きた、じま……さん?」
震える声でわたしは言ったけれど、見たことのある顔の子供たちから返事はなかった。ただなんだか後悔しているような悲しそうな顔をしていて、なにか訴えたいことがあるように感じられた。なにも話してくれないけれど。その隣に立っているのは小さな男の子だった。その子から目が離せなくなった。
「あ……ええと、秀馬、くん?」
顔は知らない、けれど感覚的に理解した。まりえちゃんの弟の秀馬くんだ。るぅの中にいた魂のひとつは秀馬くんだった。るぅはほかにも、この地で非業の死を遂げた人たちの無念の魂の集合体だということだ。わたし自身はよくわからないけれどおばあちゃんやおばあちゃんの知り合いがそう言っていた。
おばあちゃんって何者なんだろう。るぅの魂のもとになった室星たつっておんなのこの子孫だってことはわたしもたつさんに関係するんだろうけれど、わたしはここに来るまでそんなおんなのこの存在もなにも知らなかった。お父さんとお母さんとオンラインでおしゃべりしたときに訊いてみたけれど、ふたりともそんなことはなにも知らなかった。お母さんは尾下のおばあちゃんの子供なわけだから少しでもなにか知ってるかと思ったけれどわたしがそんな話をすることをためらってしまうくらいになにも知らなかった。
「ええと、まりえちゃん……う、わっ?」
わたしは思わず悲鳴をあげた。足もとを掬われたのだ。その場に座り込んでしまう。今までわたしは立っていたらしい。自覚はなかったけれど。
「あ、あ……の、っ、秀馬、くん、あの」
秀馬くんはわたしの手首に指を絡めてきた。ぎゅっと掴まれる。子供の小さな手なのに痛かった。でも小さな子の手を邪険に振りほどくわけにもいかないし。戸惑うわたしの耳に、聞き慣れた声が聞こえた。
「だめよ、このこはわたしたちの大切なこ」
るぅだ。わたしは目を見開いてるぅを見た。秀馬くんはきょとんとしている。
「そう、なの?」
「そう、だめ。このこは連れて行っていいこじゃない、守らなくちゃいけないこ。大切にしなくちゃいけないこ」
「うん、わかった」
わたしはほっと息をついた。秀馬くんはわたしの腕から手を離してじっとわたしを見ている。視線は向けられたままだけれどもう連れて行こうというつもりはないみたい。小さな男の子にじっと見つめられてわたしはにっこりと笑った。秀馬くんがが不安にならないようにと思ったのだけれど気持ちは伝わったみたいだ。秀馬くんは微笑んでくれた。
「ばいばい」
「うん、また」
「また、あそぼ」
そう言って秀馬くんは、るぅに手を引かれて行ってしまった。るぅも、秀馬くんも、北島さんに似てる子たちもみんな背中を向けて歩いていく。わたしは手を振ってみんなを見送った。
「うん、また……いつか、わたしもそっちに行く日まで。待ってて」
衝かれるようにそう呟いてわたしは、はっとした。自分の言ったことの意味はよくわからない。それよりもなによりも、私の手は温かいものに包まれている。おばあちゃんの家で、人形のるぅに会ったときみたいな。あのときの温かさ。
「……あ、まりえちゃん」
「大丈夫だった?」
「うん、大丈夫」
まりえちゃんに手を握られていた。わたしは大きく息をつく。心地いい声での祝詞が続いている。戻ってきた。わたしはまた息を吐いた。
「まりえちゃん、心配してくれてありがとう」
「そんなこと」
まりえちゃんは、ふふっと笑った。
「あたりまえじゃない」
「そうだね、ふふ」
まりえちゃんと手をつないで、わたしは心地いい祈りの言葉を聞いていた。祝詞は耳に優しくまりえちゃんの手は温かい。ふわりと心がとても温かくなって、わたしはにっこりと微笑んだ。
(終)
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