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序章 山の学校への転校生
あれっ、と思わず声が出た。
初めて来る場所なのに懐かしいみたいな感じ。こんな感覚になることがわたしにはときどきある。どういう条件で起こるのかとか、全然わからないけれど。
それでもこんな気持ちは初めてだ。わたしはきょろきょろまわりを見まわした。
「どうしたん、海莉」
「ううん、なんでもない……」
おばあちゃんが不思議そうな顔でわたしを見た。
「おまえは変わってるからねぇ」
「別に、変わってないよ」
むっとした。わたしはそう言ったけれどおばあちゃんは困ったようにそう言うだけだ。
「学校でおかしなことを言うんじゃないよ」
「おかしなことって、なに」
そんなつもりはないのにいつもこのように言われてしまう。わたしはむっと唇を歪めた。
「おかしなことなんて言ってないけど」
「おまえはそうだから」
ため息とともにおばあちゃんは言った。
「ここは東京とは違うんだよ」
「だから、東京じゃないって」
校庭を歩きながらおばあちゃんは言った。おばあちゃんは早足で、わたしは慌ててついていく。さっきの感覚が気になってわたしの足は遅くなってしまう。
(あっ、また)
わたしはまた振り返る。なにか、ある。いる、と言うべきだろうか。でもおばあちゃんに置いて行かれるし、また変だおかしいと言われるのもいやだ。
「海莉、早く!」
「待ってよ」
背後が気になった。それでもはじめての場所で迷子になるのは困る。私は慌てておばあちゃんについていった。
◇
ふわりと風が吹き抜ける。
わたしの髪がうねってもつれた。学校のすぐ裏には山がそびえている。ハイキングにちょうどいいくらいの高さだ。わたしにハイキングの経験はないけれど。山はあまり好きではない。虫が出るし足もとは悪いし木々が茂っているのは文字通り鬱蒼としていて怖い。こんな近くに山のあるところで暮らしていくのは不安だけれど仕方がない。お父さんとお母さんの出張に着いていくという選択もあったけれどあまり治安のよくない国に子供が行くのは感心できないということで、わたしはおばあちゃんに預けられた。
わたしは学校の門に足を踏み入れる。同時にざわっと全身が総毛だった。
「え、なに……?」
こういうことはときどきある。神経質だとかまわりを気にしすぎるとか自意識過剰だとか、よく言われる。自分ではそんなつもりはないけれど、お父さんもお母さんも先生たちもみんなそう言うからそうなのだろう。だから私は『変』なのかもしれない。
広い運動場には誰もいない。わたしは使い古したランドセルを背負ってそこを横切った。わたしはこの大嶽小学校に転校してきた。新しい学校に来るのは初めてではない。引っ越してきた日におばあちゃんと一緒に来た。あのときはほとんど校長先生とおばあちゃんがしゃべるばっかりだったから私は校長室のソファに座ってただけだったけど、今はひとりだ。迫り来るような山の圧迫感に逆らうように一生懸命歩いた。
「あのー……」
職員室に向かった。ドアを開けながら小さな声をあげる。お母さんより少し年上くらいの女の先生がわたしを見た。
「あら、来たのね。湊さんこんにちは」
「こんにちは……」
わたしがおずおずと言うと、先生はにっこりと微笑んだ。優しい笑顔にほっとする。
「待ってたのよ。おうちからは迷わずにこられた?」
「はい」
わたしはうなずく。先生はわたしの入る六年一組の教室にまで連れて行ってくれた。
「みんな、転校生の湊海莉さんよ」
「転校生?」
教室がざわざわした。男子と女子が半分ずつ。みんなが不思議そうにわたしを見た。珍しいものを前にするみたいにじろじろ見られて、わたしはどぎまぎしながら勢いよく頭を下げた。
「湊さんは東京から来たの。みんな仲よくしてあげてね」
「へぇ……」
教室の中がざわっとなった。私は頑張って笑顔を作ってまた頭を下げた。そしてあげる。最初なんだからいい印象を持ってもらいたい。
「こんにちは、湊海莉です! 私は東京ではなくて埼玉から来ました、近いから間違えますよね」
わたしはにっこりと先生を見た。先生は「あ、そうなの……?」と小さな声で言った。
「はい、私が住んでいたところは熊谷市のかなり群馬寄りで、だからほとんど群馬って言われたりします。あ、群馬県は埼玉県の東側なんですけど、熊谷市は埼玉県の北側で……あっ、これってますますややこしいですか?」
「あ、うん、湊さん。よくわかったわ」
先生がにこにことそう言った。わたしはうなずいた。先生はクラスのみんなにわたしと仲よくするようにと言ってくれた。長いきれいな黒髪の女子の隣がわたしの席だ。
「はじめまして」
「こんにちは。室星まりえです」
「湊海莉です」
「ふふ、知ってるよ。さっき先生が言ってたから」
「あっ、そうか」
私は笑った。室星さんも笑った。すぐに国語の授業が始まる。時間割は聞いていたのでランドセルから教科書とノート、筆箱を出した。
終わりの鐘が鳴ると隣の席の室星さんは手早く片づけて教室を出てしまった。見送っているわたしの後ろからふたりの女子が声をかけてくる。
「こんにちは、湊さん。わたし北島咲奈っていうの」
「わたしは飛山虹花」
「湊さん、東京から来たんだね」
「あ、うん。東京じゃなくて埼玉だけど」
「ふぅん? どう違うの?」
「わたしは東京には住んだことないけど、大きいおばあちゃんが住んでて。大きいおばあちゃんの家に行ったときはね」
「大きいおばあちゃん?」
「おばあちゃんに大きいも小さいもあるの?」
薄い緑のシュシュをつけた飛山さんが笑う。わたしは慌てた。
「えっと、大きいおばあちゃんって呼んでいるのはおばあちゃんのお母さんなんだ。曾祖母って言うのかな」
「へぇ……」
飛山さんは笑顔でそう言った。笑いかけてもらえて嬉しい。初めて話す相手に親しくしてもらえて、とても嬉しい。
「湊さん、尾下のおばあちゃんのところに住むんだよね」
「そうなの? 咲奈ちゃんよく知ってるね」
「お母さんが言ってた」
「そうなんだ!」
勢い込んでわたしはふたりに話しかけた。
「じゃあ、おばあちゃんのこと知ってる? おばあちゃんは名字は違うんだけど、「尾下の」って呼ばれてるんだよね。なんでか知ってる? わたしも知らなくて訊いたんだけど、尾下って屋号なんだって。屋号って名字とは別に家につける呼び名というか、区別するための別の名前なんだって」
「へ、ぇ。そうだったっけ」
「おばあちゃんはお料理が上手なんだ。よかったら食べに来ない? おばあちゃんにも会ってほしいな」
「ああ、うん。そうだね」
「いつ来る? おばあちゃんに聞いてみるよ!」
「うん、またね」
笑顔でそう言って、北島さんと飛山さんは去っていく。もう少し話したかったけれど休み時間は十分しかない。話しかけてくれたしにこにこしてたから仲よくなれると思う。
「あ、室星さん」
わたしの隣の席の室星さんが帰ってきた。すとんと椅子に座った。わたしが見ているのに気がついたみたいだ。こちらを見てにっこりとした。
「ねぇ室星さん。北島さんと話したんだけど、北島さんわたしのおばあちゃんのこと知ってるの!」
「ふぅん、そうなの?」
室星さんは興味なさそうにそう言った。笑顔だから悪い気持ちではないんだと思う。今日は初めてのことばっかりだからついテンパっちゃった自覚はある。けれど話しかけてくれる人もいたし嫌な顔もしてなかったからどうにかなったんじゃないかと思う。
終わりの会は、今までの学校と同じような感じだった。今朝は転校生だということで特別に紹介されたけれど終わりの会ではみんなわたしを気にする様子はなかった。みんなに合わせて「さようなら」と言って、すでに仲よしのグループが連れ立って教室を出て行くのをわたしは見やっていた。でも転校してきたばかりのわたしはひとりぼっちだ。
「まぁ……仕方ないよね」
小さくそう呟いて歩き出す。まだ慣れていない校舎の中、みんなの背中を追っていたつもりだったのにわたしは知らない校舎に迷い込んでいた。教室の前のプレートを見る。
「図書室……」
本を読むのは好きだから前の学校でもよく図書室に行っていた。入ってみたくてドアを開けた。
「失礼します……」
わたしはそっと中に入った。誰もいない。図書室なら司書の先生がいるはずだけれど。訝しく思いながら私は入ってドアを閉めた。
「わぁ……」
図書室は少しだけ黴臭かった。不快ではない。床は古びた板張りで歩くとぎしぎし音がする。薄暗さが図書室としての雰囲気を醸し出している。
広い部屋ではなかったけれど、本棚がぎっしりと置いてある。たくさんの本が並べられていてわたしはとても興奮した。
「え……あ、っ?」
またあの感覚だ。わたしは振り向いた。初めて校庭に入ったときに感じたもの。わたしはあちこちきょろきょろした。感じたものの正体はわからないままだ。
「なんなの……?」
しんと静まり返った図書室の中、わたしはうろうろ歩いた。読んだことのある本もない本もたくさん並べてあった。そのうちの一冊にわたしは手を伸ばす。黒い分厚い表紙で、背表紙には金色でよく読めない文字が書いてある。
「わ、っ!」
棚から本を引き抜いて驚いた。びっくりして取り落としてしまう。長いまっすぐな黒髪のおんなのこが大きな黒い目を開いてわたしを見ていた。ぱつっとカットされた前髪、顔まわりの髪も顎あたりの長さで切り揃えてある。黒いレースでできた半分だけの帽子みたいな飾りを頭に置いてリボンを顎の下で結んでいる。お人形みたいなおんなのこが床からわたしを見あげている。窓の向こうにいるみたいに上半身しか見えないけれど、やっぱりたくさんの黒いレースで飾られたとてもかわいいドレスを着ていた。
「あ、表紙……」
それが落とした本の表紙だというのはすぐわかった。こちらを見ているおんなのこが描かれている。よく見ると女の子は絵だ。細かい絵だから写真のように見えたのだ。とてもきれいだと思った。
おんなのこはわたしを見ている。じっと見つめてくる大きな黒い目は恐ろしいような気もしたけれど同時にやはり、とても美しい。わたしは吸い寄せられるように手を伸ばして本を拾いあげた。
怖くて、それでいて印象的な表紙の本に誘われるように、おんなのこに見つめられながらわたしはページをめくった。
第一話『人を食う本』
わたるさんは図書室で奇妙な本を見つけました。分厚くて、表紙には黒だけで本を開くとページは真っ黒です。見ているだけで吸い込まれるみたいだとわたるさんは思いました。
「わたるさん」
「えっ?」
「わたるさん」
何度も名前を呼ばれます。わたるさんは黒いページをじっと見つめました。わたるさんはびっくりして声をあげようとしました。でも声は出ません。黒いページにずるずるっと吸い込まれて、わたるさんはいなくなってしまいました。
第二話『皮剥ぎまきちゃん』
まきちゃんは生まれつき顔にたくさんのイボがありましと。みんな、まきちゃんを笑いました。「醜い」といじめられてまきちゃんは毎日泣いていました。まきちゃんは苦しんで苦しんで、ある日学校のトイレの鏡を見ながらカミソリで顔の皮膚を削ぎました。醜い皮を剥げば美しい肌が表れると思ったのです。カミソリの刃は鋭くてものすごく痛くて、でもまきちゃんは痛みに耐えました。美しくなるためにはこのくらい平気なのです。
まきちゃんは血まみれになって死んでしまいました。
そのトイレに子供が入ると顔が血まみれの女の子、まきちゃんが現れます。「顔の皮をちょうだい」とカミソリを向けてくるので「わたしはあなたより醜いです」と言わなければそのまま顔の皮を剥がれてしまいます。
第三話『戻ってこられない肝試し』
みつおさんは肝試しに行きました。友達には止められました。「あの廃校に入ってはいけない」「入ったら戻って来られない」。
みつおさんは友達を笑いました。みんな弱虫だなぁ。それでも本当は怖いので無理やりひとりの友達を連れていきました。
真っ暗な夜でした。校舎の中、懐中電灯がつかなくなりました。友達の懐中電灯を使おうと振り返ると友達がいません。よく見ると歩いてきた廊下の真ん中あたりで懐中電灯の光が点灯していました。
友達だとみつおさんは思いました。名前を呼びながら走っていきました。
「みつおくん!」
友達は泣きそうな声でみつおさんを呼びました。みつおさんは友達のもとへと走っていきました。暗闇の中にあったのは懐中電灯の光だけ。友達の姿はありません。
みつおさんは友達の名前を叫びながら光の方に向かって走りました。
それからみつおさんの姿を見た人はありません。
第四話『骨こぶり』
はるきさんは林間学校に行きました。夜、宿舎を抜け出すと星明かりの下に長い髪、白い着物を着た青白い顔をした女性を見ました。その右手には人間の骨が握られていて女性はそれをしゃぶっています。はるきさんを見てにたりと笑い、向かって「見たな」と言いました。しゃぶっていた骨をはるきさんに投げつけてきます。はるきさんは逃げて宿舎の自分の部屋に飛び込み布団に潜り込みました。夏の夜なのにがたがた震えています。
みんな眠っているはずなのに微かに忍び笑いの声が聞こえてきます。あの、骨をしゃぶっていた女性です。
「寝ていたやつは足が温かい、外にいたやつは足が冷たい」
女性は手あたり次第に布団を捲って寝ている子どもの足首を足首を握ります。はるきさんはどきどきする胸を押さえながら布団の中で体を固くしていました。
女性の手がはるきさんの足首を掴みました。骨が折れそうなほどに力を込められます。
「見つけた」
第五話『読んではいけない本』
ある小学校には大きな図書室がありました。ゆきさんは本が好きで、毎日図書室に通っていました。ある日ゆきさんは、おかしな本を見つけました。表紙をめくると大きな字で『読むな。すぐに閉じよ』と書いてあります。ゆきさんは不思議に思いましたが気にせず読み進めました。
たくさんの興味をそそる物語の中、ゆきさんは驚きました。ゆきさんと同じ名前、性別に年齢、そして性格や癖までもがそのままの登場人物が現れる物語があったのです。ゆきさんにそっくりな登場人物はミイラ男に襲われて必死に逃げます。
『ここでやめろ。先に進むな」
その文を読んだ瞬間、ゆきさんは背後に不吉なものを感じて振り向きました。そこには本の内容を再現するように大きなミイラ男が立っていました。
「わぁ……」
気づけば最後の物語も終わっていた。もうページは残っていない。惜しい気持ちとともに本を閉じた。また表紙の女の子に見つめられてどきりとする。大きな目を見開いた顔は少し怖いけれど、でも同時に「かわいい」と思う気持ちもある。本の内容も怖かったけれど面白かった。
「また来るね」
わたしは小さな声でそう言った。本棚に戻す。その本棚には『むかしのできごと』とのプレートがついている。この本は昔のできごとに分類される本なのだろう。いくら昔でもこんなことが本当にあったなんてとても思えないけれど。
明日もまた、読もう。
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