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魔王城の地下にある捕虜収容所。
ここには魔王城で捕縛されたやつが収監されている。そして、別名ズハオの遊び場でもあった。
大体捕虜にまでされるのはズハオのお眼鏡に適ったやつしかいないので、普段は無人に近いのだが――。
石造りの薄暗く重たい空気の中、ずる、ずる、と絡みついてくる触手たちを撫でながら俺は一箇所だけ閉じてある牢を見つけた。
そして、ひょいとその牢を覗きこめば、そこには天井から吊るされた鎖に繋がれた男の姿があった。
筋肉質な体に、薄暗い闇の中でも目につく鮮やかな緑髪。肩まで無造作に伸びた髪は乱れている。そして、身に着けているのはこの辺りでは見かけない黒装束。
――忍か。
そう口の中で呟いたとき、はっとその男は顔を上げた。そして鉄柵越し、俺を見上げて「シン?」と口にするのだ。
瞬間、薄れかかっていた前世での記憶が一気に蘇るのが分かった。
――俺のことをシンと呼ぶ男は一人しかいない。
「……お前、カイネか?」
釣られてその名前を口にした瞬間、男――カイネの顔がぱっと明るくなるのを見て俺は確信した。
潮崎海音は、俺と幼馴染だった男の名前だ。
生まれてから高校に上がっても尚何故かすぐ側にいた。そしてヤツは俺をシンと呼ぶ。
幼馴染というだけでやたらと俺を気にかけてくるし、口煩くてお節介なやつだ。けれど、確か俺の知ってるカイネはこんなに成長してなかったし、もっとこう……野球少年みたいな感じだったのだが。
全体的にデカく育ってるカイネに戸惑うよりも先に、何故カイネがこの世界にいるのかがわからなかった。
「……っ、やっぱり、シン、お前だったのか……ずっと会いたかった……っ」
「いや、つーかなんでお前ここにいんの?」
「なんでって、お前――っ、そうだよな……あれからここに来るまで時間かかったし……」
うなだれるカイネ。そしてやつはぽつぽつと語り出した。
俺はもう忘れていたが、俺がトラックに撥ねられることになったのはいつものように友人の女にちょっかいかけてしまったことをカイネに怒られ、逃げていたときだった。
目の前でトラックに轢かれる俺を見て、カイネは咄嗟に俺を助けようと飛び出したらしい。そして、そのまま一緒に異世界にきてたのだと。
「俺がきたときは俺はただの力のないガキだった。……だから、ここに来るまで力をつけてきたんだ」
ふふん、と何故か得意げなカイネ。
で、ズハオに負けて捕虜として牢屋にぶち込まれてるわけと。
魔王城は退屈すぎて時間の感覚はなくなってたが、カイネの話を聞くに大分時間は経過してたらしい。ちょっとした冒険譚を聞きながら、俺はちらりとカイネを見た。
そんな俺の視線に気づいたらしい、ハッとしたカイネは「……なんだよ」とぼそぼそと声を小さくする。
「……いや、すげー格好してんなと思って」
「こ、これは……っウチの里では皆これが普通だったんだよ! 別に、好きでやってるわけじゃねえからな……っ! つか、お前だってなんだよそのうねうねしてんの……!」
「知らね、なんか生えてた」
「生えてたって……」
「触ってみるか?」と一本の触手をカイネに伸ばせば、「うわ!やめろ!」とカイネは飛びのく。が、鎖で拘束されたまま逃げられる距離など大したことない。
触手の先っぽでカイネの頬を撫でれば、ぎゅっと目を瞑ったカイネは「ん」と小さく声を漏らした。
その声に、その表情に、不覚にも胸の奥が反応する。……いや、まじで不覚なんだが。
「……ゃ、やめろ、きもちわりいってそれ……」
「そんなこと言うなよ。……俺のこっちでの名前、お前だって知ってるんじゃないのか」
「触手遣いのルーナだって……なんだよその二つ名」
「俺に言うなよ」
「……けど、お前は全然変わってねえ。顔も形も別人だけど、だらしねえとことか、寝癖ついてるところとか……シンのままだ」
「……なんだよそれ、褒めてるつもりか?」
しかも絶妙に嬉しくねえところ褒めやがって。
照れくさくなって触手を引っ込めれば、「そ、そんなんじゃねえよ!」とカイネは声を上擦らせた。顔が真っ赤だ。なんでお前まで照れるのか。
「なあ、シン……ようやく会えたんだ、俺と一緒にここから逃げよう」
「え、やだ」
「……え、や、やだってなんだよ! だって、こんな恐ろしいところ……ッ」
「運悪く人間に転生したお前ならともかく、俺からしてみたら全然快適なんだよなぁ、ここ」
「な……――ッ」
なんで、と青ざめるカイネ。こいつの頭の中の俺は快くOKしてたのだろうか。
「なんでもなにも、俺四天王だし、それに今の俺は冠木深夜じゃなくてルーナ、な」
「……何言ってんだよ、お前、魔王軍がなにしてきたか分かってんのかよ?!」
「知らねえよ。俺、ずっとここにいたから」
「だとしても、“ルーナ”は人間たちの間でも恨み買ってるだろ?! もし、お前が冒険者にやられたり、魔王軍のやつらに裏切られたりでもすりゃ俺は……」
どんどん悪い方向に考えて突っ走るのは、カイネのやつの悪い癖だ。落ち着かせるため、俺は「カイネ」とやつの首に触れる。びくりと上半身を震わせ、カイネは俺を見上げた。
「――じゃあ、お前もこっちに来ればよくね?」
「な、なに、言って」
「だって、お前俺が心配なんだろ? ……外で人間としてやってくよりは、魔王軍に寝返ってた方がこの先ヌルゲーだって」
今思えば自分でも何故こんなことを言ったのか分からない。
きっかけはあれど、俺の事故に巻き込んだ挙げ句異世界転生までさせ、おまけに過酷な環境で目が覚めてしまったこいつに対する罪悪感なのだろうか。
カイネへと指し伸ばした手に、背中から這い出た触手がしゅるりと絡みついていく。
「嫌なら別にいいけど、その代わりずっとここに置いておくからな。ズハオなら遊び相手に困ってるから付き合ってくれんだろ」
「っ、ゃ、いやだ……あいつは……」
「じゃあどうすんだ?」
ここに来るまでの間のことを思い出したのだろう。ほんの一瞬迷ったカイネだったが、拘束された手の代わりに背筋を伸ばし、俺の指先に唇を落とした。
「ぉ、お前と……一緒がいい」
掠れた声。すがりつくような目に、今までに感じたことのないような感覚が足の裏から頭の天辺まで駆け上がってくるようだった。
俺は「それがいい」とだけ返し、そのままカイネを拘束していた首輪と手枷を外す。
退屈でつまんねー日々を繰り返す魔王城の中、ほんの少しだけ色が産まれた――ような気がした。
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