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町で買い物をする時、あたしは、必ずアームカバーをつける。
長袖にアームカバーは暑いけれど、大半の人は、入れ墨を見たくないみたいだし。
リンゴを手にしたあたしに、果物店のマーサが笑う。
「良いリンゴだろ」
「ほんと、おいしそう。良い匂い」
マーサの店は、商品を好きなだけ触らせてくれる。正直、助かる。手に取って確かめないとわからないことって、たくさんあるから。
りんごを買って、その場で食べる。しゃぐっ、というみずみずしい音が、店頭に響く。キースにも持って帰ってやりなよ、と言ったマーサが続けた。
「で、式はいつなのー?」
「ええっ? な、なんで知ってるの……?」
確かに、キースとは結婚の話が出ていた。だけど、誰にも言ってない。マーサが、ふふん、と胸を張る。
「やっぱり! 仕立て屋でひと悶着あったって聞いたんだからね?」
あー、という気持ちになった。
先週、仕立て屋に、キースと行った。あの人たちは、あたしに商品を触らせたがらない。あたしが触れた後の商品は、お客さんが買いたがらず、売り物にならない、と。
花嫁ドレスの採寸を終えて、個室で待たされている間、嫌な声が聞こえてきた。
──どうする? こっちの布、勿体ないし使いまわす? 言わなきゃバレないよねぇ
──つーか、あんなのでも嫁に行けるのに、どうしてアタシは……
──いや、そんなだからでしょ。あんな可哀そうな子に対してよく言えたね
──ほんとだよ、入れ墨のせいで輸送機乗りにしか就けないんだしさ。嫁に入ったら針仕事だよ? まじいろんな意味で地獄じゃん?
──義母さんどうするんだろうねー、針仕事自体させてあげるのかなー?
なんかもう全部駄々洩れだった。悪意があっても、なくても、どうしようもないことって、ある。
あたしは苦笑してキースを見た。めっちゃ気まずいんだが。どうしてくれる。
「部屋の防音、絶対見直したほうがいいよね」
冗談めかして言うと、キースがあたしの入れ墨の腕に触れた。
特注で頼んだ手袋だけは先にできていた。
テーブルの箱から、キースが手袋を取り上げる。
「大丈夫だよ。ぼくが守ってあげるから」
しゅるしゅるとした絹の手触りが、あたしの両腕を包み込む。寸分の狂いなく、白くて清潔な手袋が両腕にはめられる。キースがはめてくれた。
こういう時、キースはすごく優しい。育ちの良さが出てると思う。
なのに、なんか違うんだよなー、と思ってしまう。何が違うのかはよくわからない。
曖昧に笑うあたしの顔を、キースが覗き込む。心配そうな声がする。
「どうしたの? 疲れた?」
「うん」
「そっかぁ。ドレスの採寸って大変だよね。慣れないし。店員も態度悪いし。ここ出たらお茶しようね」
うん、ともう一度頷く。ちなみに、その後行ったレストラン併設のカフェはあんまり味がしなかった。
きっと、身の丈に合わない贅沢だったから、あたしの体に合わなかったんだろう。
手のひらにおさまったリンゴをじっと見つめる。
「町の名士の末っ子とはいえ、盛大なお式になるだろうねぇ。楽しみにしてるよ!」
マーサの声に、また、うん、と頷く。絶妙にもやっとするこの感じは、一体。なんだろう。
キースのぶんまでリンゴを買って店を出る。
見上げた空は、茜色に輝いていた。等間隔に並んだ筋状の雲が、頭から光に染まっていく。まるで、龍の群れが夕日の向こう側を目指しているようだった。
アームカバーの手を、ぐっと伸ばす。
あたしも一緒に連れて行ってよ。
「……なーんてね」
また明日、と伸ばしたその手をぶんぶんと振って、一人暮らしの家に帰った。
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