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16:奥様、怒る
後に聞いたところによれば、孤児院でも、ルビアンの料理下手は有名だったという。
「料理自体は美味しいのだが、調理後の厨房が地獄絵図」
「見ているこっちが怖いし、痛い」
「野菜の皮を剥いているだけで、年少組が泣いた。夜泣きも酷かった」
などなど。武勇伝には事欠かなかったようだ。特に最後の逸話は、詳細が知りたい。
しかし武勇伝の当事者であるルビアンに、苦手意識はないようだ。
彼女はチーズ入りオムレツを咀嚼し、にっかり笑う。
「今日は楽しかったです。またお料理したいですね」
「ああ、そう、だな……」
あまりにも笑顔が無垢で、ラクナスは小言を飲み込んでしまった。
それに何も知らないバルージャとシロマも、ほくほく笑顔だ。言い出せるわけもない。
「スープも、とても美味しゅうございます」
「ルビアン様もお料理上手ですのね。お似合いのご夫婦で、ばあやも嬉しゅうございます」
「ありがとうございます」
調理風景に反して、海老のトマトクリームスープは確かに美味だ。余計に、「君の調理風景は戦場のようだ」などと言えるはずもない。
心底嬉しそうなルビアンと、優しい笑みの老々コンビに抵抗できるのは、悪魔ぐらいなものである。
現にアンリルは、フォークをくわえたまま不機嫌顔だ。
「おめーは危なっかしいから、旦那がいねー時は料理すんなよ! いいか、悪魔って言ってもなあ、人肉食ったりしねーからな!」
「人肉? やだなあ、変なこと言わないでくださいよ」
「変なのはおめーの包丁さばきだろ! いつか指切るぞ!」
どうやらアンリルも、厨房での光景がトラウマになっているらしい。
それはラクナスも一緒なのだが。
顔を引きつらせる男二人に構わず、シロマは興味津々といった体で「あらまあ」と声を上げる。
「そんなにルビアン様のお料理は、大胆ですの?」
シロマの問いかけは、ラクナスに向かった。アンリル、ルビアンからも視線が注がれる。
双方の視線の熱量が恐ろしく、ラクナスは途端に委縮した。
「う……いや、まあ、うん……」
「坊ちゃん、もっとシャンとなさって下さいな。なんだか坊ちゃんの方が危なっかしいですから、次からばあやがルビアン様に、お料理を──」
「それは駄目だ! 寿命が縮むぞ、ばあや!」
言ってからしまった、と後悔が訪れる。
使用人トリオは「やってしまったな」と、哀れみと呆れがない交ぜになった表情を浮かべている。
──アンリルにだけは、そんな目で見られたくないぞ! 君も共犯だろう!
一方のルビアンは、半笑いだった。ただし、笑っているのは口元だけ。目は見開いたままだ。ものすごく、怖い。
「寿命が縮むとは、どういう意味ですか?」
「それは……」
猟奇殺人鬼の笑みのまま、ルビアンが問いかける。
ラクナスは言い淀む。
視線をさ迷わせる彼に、ルビアンは無表情へと変わった。
「旦那様は肝心なところでよく、はぐらかしますよね。そういう曖昧な態度、よくないと思います」
そして淡々と、そう言った。思い当たる節が多く、胸に刺さる言葉だ。
使用人を──特にアンリルを労うための食事会だったのに。
「本人前にして、あれは言っちゃいけねーだろ。オレならともかく、あんたはさ。ちゃんと謝れよ?」
食事会の後で、むしろ悪魔従僕から激励される始末であった。
昼食を終えたルビアンが、無言で出て行った扉を見つめ、バルージャも重い表情だ。
「左様でございます、坊ちゃん。坊ちゃんは口下手なところがございますので、誠心誠意へ更に甘さを付け加えて謝罪するのが、ちょうどよろしいかと思われます」
皿を重ねて運びながら、シロマもうんうんと首肯する。
「そうですわね。さあさ、ここの後片付けはばあやがやっておきますので、ルビアン様へ謝ってくださいな」
「しかし今日は、ばあやたちを休ませようと……」
「後片付けぐらい、何てことございません。それよりも、奥様との仲直りの方が大事でございましょう?」
「す、すまない」
労うつもりが労われ、ラクナスは食堂を追い出された。
とぼとぼと、二階のルビアンの部屋へ向かう。
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