14:悪夢

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14:悪夢

 悪夢の内容は、いつも決まっていた。  人類軍に捕まった時の記憶だ。  公式には、ラクナスは人類軍との抗争の末に捕獲され、適切な治療の結果元に戻った(耳を除く)と知られている。  だが、それは虚飾であった。  ラクナスを見舞ったものは、抗争や治療などという、生ぬるいものではなかったのだ。 「人類軍は私を捕えるため、見知らぬ子供を人質に取った」  ルビアンの肩が、ぴくりと震えた。ひっそりと、眉もしかめられる。  洗脳されていた頃の記憶は、白黒でぼやけていて、あやふやな部分も多い。  それでも、兵士に囲まれて怯える少女の涙と、その後に待ち受けていた地獄だけは克明に覚えている。  少女の解放を条件に、捕虜となったラクナスに行われたのは、凄惨な拷問だった。  鞭で打たれ、爪と皮を剥がれ、火で炙られ、両手両足を縛られたまま水中に落とされた。  それは、彼から有益な情報を吐き出させるための痛み──などではなかった。  ただただ、兵士たちの捌け口としての苦痛だったのだ。  それは洗脳が解けた後も、しばらく続けられた。  洗脳が解け、色彩の戻った視界に映る人間の顔はどれも、嗜虐性に溢れていた。  彼らは悪魔よりもずっと、悪魔らしかった。  だからラクナスは今も、人間が怖い。  人類軍を殺戮した自分も恐ろしいのだが、それ以上にあの時見た、兵士たちのギラついた笑みが怖い。  そして毎晩、その影にうなされる。  ルビアンは強張った顔で、しかし静かに耳を傾けてくれていた。  この打ち明け話をするのは、彼女が初めてだ。  自分の生還を信じてくれていたバルージャとシロマにも、助命嘆願書を出してくれたティルウスにも、未だ話せずにいる弱い心を吐露する。  不思議と、彼女の前では素直になれる自分がいた。 「ラクナス様は洗脳されていても、まっすぐだったんですね」  だが彼女のこの言葉は、予想外であった。  胃が痛くなるような深刻さを忘れ、そうだったか?とラクナスは顎を撫でる。 「洗脳されていたので、よくは覚えていないが……」 「子供を人質に取ろうって、人類軍が考えたんですよね? ということは、人質のことを一番に考える、クソ真面目な性格は相変わらず、だったんだと思います」 「淑女が『クソ』などと言わないように」  ルビアンの優しさで和んだ空気に、ついラクナスは苦笑する。 「何故だろうな。君が相手だと、話しやすい」 「それは私が変わり者、だからだと思いますよ」  茶目っ気たっぷりに言われた言葉に、ラクナスも 「そうかもな」 悪戯っぽく笑って、立ち上がる。  サイドボードの灯りを手にして、気が付いた。  ルビアンがあられもない下着姿であると。色々と丸見えである。 ──暗くて良かった。明るければ、そのまま違う意味の獣に……いや、そうじゃない! 「ルビアン! なんて格好なんだ!」  部屋の防音性を最大限に活用し、ラクナスは怒鳴った。  少し肩をすくめたルビアンに、さして堪えた様子もない。  屈託ない表情と、背徳的な下着のアンバランスさに、今度は胃でなく頭が痛い。 「ばあやさんに見立ててもらいました。もうそろそろ、イチャイチャしても良いでしょう、ということで」 「まさか、部屋の鍵も……」 「はい。せっかくだから寝込みを襲ってしまいなさい、とじいやさんが」 「世話焼きにもほどがあるだろう!」  分かっている。老使用人たちはいち早く、自分にまっとうな幸せを見つけてほしいだけなのだと。彼らは忠義者なのだと。  分かっているが、こういう事柄はそっとしておいてほしかった。  そもそもルビアンは、見目も器量も良い。こんなお膳立てなどなくとも、年甲斐もなく惹かれているのは事実だ。  ラクナスは溜息をつきつつ、彼女にガウンを貸す。そして、ベッドに座らせた。 「ちなみに、このまま自室へ戻る予定は」 「ないです。毒食らわば皿までです」 「誰が毒で皿だ」 ──目に毒なのは、むしろ君の方だ。これでは、下着としての機能も果たせていないではないか。  ラクナスは先ほどの比ではない、長々とした息を吐きながら、ベッドへ突っ伏した。  その隣にころん、とルビアンが寝ころぶ。  真っ白なシーツに、真っ赤な髪が広がる様は絵になった。  自分を窺う深紅の瞳が、優しく細められた。その瞳を見つめ返していると、先ほどまで自分を羽交い絞めにしていた恐怖心も、どこか遠くへ流れていく。 「本当に、私で良いのか? 見ての通りの異形で、その上、君より一回り以上も年上なんだぞ?」 「クレムリン男爵に言った通りです。私、ラクナス様に一目惚れしたんです」  ルビアンがはにかんだ。なんと、あの時の言葉は方便ではなかったのか。 「だから、あなたじゃなきゃ嫌なんです」  ラクナスの顔にかかる髪をそっと、ルビアンの細い指がかき上げた。頬にも触れる指先がくすぐったく、ラクナスは微かに笑う。 「私も君は、嫌じゃないよ。むしろ惹かれている」  彼女の赤い髪を、指先に絡めながら告白する。思い切って「好きだ」と言えない、憶病な自分が恨めしいが。 「それは何よりです」  そんなあやふやな言葉にも、間近にある、人形のように整った顔がほころんだ。  可愛らしく微笑んだかと思うと、ルビアンはやや強引に距離を詰める。 「ルビアン……?」  そのまますっぽりと、ラクナスの腕の中に納まった。  形の良い胸を彼の胸板に押し当てつつ、ルビアンは上目で窺う。 「それでは、とりあえず今夜は、添い寝でいかがでしょうか?」 「建設的な提案に、痛み入るよ」  半ばやけっぱちに、ラクナスはそう言って笑った。 ──この状態での添い寝は、蛇の生殺しに近いが……まあ、良いか。  その晩は結局それきりだったが、この日を境に、寝室は共有となった。  また彼女の隣で眠ると、不思議と悪夢を見る回数も減っていた。
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