17:キツネの君の秘密

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17:キツネの君の秘密

 どこかへ家出されていたらどうしよう、と不安がよぎったものの、幸いルビアンは自室にこもっていた。 ──いや、彼女も私も、他に行き場なんてなかったんだ。  遅れてその事実を思い出し、苦い気持ちになる。  元書斎に居を移した、彼女の部屋の扉を三度叩く。 「ルビアン? 今良いかな?」 「駄目って言っても、合鍵で入るんでしょ。どうぞ」  返って来たのは、いつになく刺々しい言葉であった。  ためらいつつ扉を開くと、ルビアンはソファでふて寝をしている。これまた珍しい。  彼女はそっぽを向いているため、こちらから伺えるのは、艶々とした深紅の髪とクリーム色のドレスだけだ。 「ルビアン、なんというか……さっきは、すまなかった」 「迷惑だと思ってるなら、料理を作っている時に言ってほしかったです。皆さんがいる場所で言われたら、恥ずかしいし……悲しいです」  曖昧な謝罪は、ぴしゃりと跳ね返された。しかし彼女の主張はもっともだ。  ためにラクナスは一つ息を吸い、彼女のそばに跪いて、再度名前を呼んだ。 「ルビアン……迷惑だったわけではないんだ。危なっかしいと思ったのは……事実だが」  ルビアンは無言だが、背中から漂う怒気が増した──気がする。  それに心を折られつつも、彼は続けた。 「ただ、妻に恥をかかせたお詫びとして、告白したいことがある」 「……なんでしょうか?」  ソファから体を浮かせ、ちろり、と肩越しに視線が向けられた。少しばかり安堵する。 「実は私は、音楽が苦手なんだ」 「音楽、ですか?」 「ああ。この耳では大きな音が騒音にしか聞こえず、貴族の嗜みでもある演劇やオペラですら、観に行けなくなった次第だ」  つまりは、誰にだって不得手なことはある。そう言いたいのだ。  随分と回りくどい弁解に、身体を起こしてこちらへ向き直ったルビアンも、怪訝な顔である。  ぺたりとキツネ耳を倒しつつ、訝しげな彼女をじっと見つめた。 「だが、君の作ったスープは旨かった。これも本当だ」 「ありがとう、ございます」  気のせいだろうか。いつも泰然自若としているルビアンの頬が、うっすら赤くなっていた。  少しうなだれた、そのしおらしい姿に、ラクナスもつい動悸を覚える。  だが、赤らんだ頬のまま顔を上げた彼女は、悪戯少年の笑みを浮かべていた。   ──良かった、いつものルビアンだ。 「それじゃあ、機嫌を直すので、好きだと言ってください」  突拍子もない要求に、ラクナスは目を白黒させて狼狽えた。 「なっ、何故そんなことを」 「私言いましたよね。ラクナス様は肝心なことを言わないって。惹かれてる、とは言ってもらっても……好きだと言ってもらったことが、ありません」  後半、表情はまた儚げなものになっていた。 ──言っていなかったのか? いや、確かに言っていない気がする……態度で伝わるかと、思っていた節があるな。  額に脂汗をにじませ、自己を振り返りつつ、ラクナスは無意識につばを飲む。  右手が覆い被さる彼の顔は、真っ赤であった。 「あー……その、君のことは、誰よりも……いや、やめてくれ。改まって言うのは……気恥ずかしいと言うか!」 「だからこそ、言って欲しいんですよ」  ルビアンは攻撃の手を緩めない。とうとうラクナスは、白旗を上げた。 「頼む! 私が悪かったから、許してくれ!」 「わっ──んんっ」  羞恥心の限界に達してしまった彼は、ルビアンを抱きしめ、そのまま唇を重ねる。  結局今回も、態度に打って出てしまったラクナスであった。  だが、改めて口にするのも気恥ずかしいぐらい、ルビアンに惹かれている。  彼女と結婚出来て良かった、とふとした時に噛みしめる。  毎朝彼女の寝顔を見ることに、たとえようもない幸福感を覚えている。  そんな気持ちが少しでも伝われば、と優しく口づけを続けた。  白い首筋から頤、そして耳介を優しく撫で、唇を甘噛みし、舌を絡める。 「ふぁっ……」  時折甘えを含んだ声が、さくらんぼのように艶やかな唇から零れた。  すっかり耳まで赤くなったルビアンは、くたり、とソファに沈んだ。彼女の上へ覆いかぶさったまま、ラクナスは唇を離す。 「……ラクナス様は、ずるいです」 「ん?」 「だって、料理も口づけも、上手だから」  そう言ったルビアンは、赤い顔のまま彼をにらむ。その眼差しすら、扇情的だ。  しかし、なんだか遊び人だと言われているみたいで、少々不本意であった。嬉しいか嬉しくないか、と問われれば……嬉しいのだが。 「言っておくが、火遊びの類は断じてしていないぞ。断じて」 「それはもう、人柄で十分分かってますって」  苦笑を浮かべるルビアンは、間近にあるキツネの耳を優しく撫でた。彼女の手は優しすぎず強すぎず、絶妙な強さで耳の和毛をくすぐる。 「君こそ、撫でるのが上手だな」 「孤児院には猫ちゃんもワンちゃんもいたので、慣れております」 「なるほど」  そう言って鼻をこすり合わせてはにかみ合い、もう一度口づけをした。
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