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18:ギャングに物申す
復興途上にある旧王都──なお、正式名称はサマルカンド領だ──の税率は、近隣の領地よりもずっと安い。
アンリルからは「廃墟だ」「ゴーストタウンだ」とケチョンケチョンにけなされている旧王都であるものの、低所得者層からは人気の地域だったりする。
ここ一年ほどでライフラインも復旧し、移住者はなお増加中だ。
だが、そんな地域だからこそ、犯罪者たちも多く潜んでいる。
彼らの中でも、特にラクナスが危険視しているのは、ギャングなどの犯罪組織だ。
徒党を組んでおり資金面でも潤沢なため、犯罪行為の規模がとにかく大きい。
必然的に住民へ降りかかる火の粉も、大きくなるというもの。
「ここに住んでる、貧乏人どもが心配なのは分かるけどよー、あんたが出てく必要あるのか?」
「ある。自慢ではないが、私に資金と人脈はない」
「マジで自慢できねーじゃん。笑えもしねーし」
「うるさい。とにかく、頼れる人材が不足しているのだ。自ら出るしかないだろう」
フロックコート姿のラクナスは、金褐色の髪を束ね直し、野次を飛ばすアンリルへ反論する。
これから、ギャングのボスとの会談が待っているのだ。
会談と言えば聞こえは良いが、実際は腹の探り合いと牽制である。軽んじられぬよう礼装姿だが、腰には細身の剣が吊るされていた。
サマルカンド家随一の戦力であるルビアンも、もちろん準備万端だ。
駄目で元々とラクナスは止めたものの、やはりどこ吹く風であった。こっそり付いて来られるよりは、と彼も説得を放棄している。
ルビアンも、レースをたっぷり使ったラベンダー色のドレスと、カメオの付いたチョーカーで飾り立てているものの、先ほどからジャブを繰り返している。
鋭く空を切る音が、実に心地良い。
彼女の小さな拳の重さを、身をもって知っているアンリルは、無言で距離を取った。
それをにやり、と笑ったルビアンが詰めていく。
当然、アンリルは青ざめて震えた。
「来るなよ! あっち行けー!」
「女主人に対して、なんてひどい言い草」
「女主人ってガラじゃねーだろ! てめーは拳王だ、拳王!」
「何故だろう。けなされてるはずなのに、褒められてる不思議」
──アンリルは貶し下手か。
二人のやり取りに笑いを零しつつも、出立を促す。
「ほら。時間に遅れでもしようものなら、なお連中に軽んじられる。すぐに出るぞ」
「はい」
「へいへい」
キツネ耳の男にその若妻、そして少年従僕。
外見上はなんとも貧弱な面子であるが、その実、元魔界軍の騎士と武神の孫娘に、現役魔界軍の悪魔である。
故に見送るシロマも涙を浮かべず、散歩へ送り出すような気楽さだ。
「くれぐれも、お相手の方に致命傷を与えてはいけませんよ。坊ちゃん、ルビアン様」
いや、それどころか、ギャングの身を案じられてしまった。酷い見送りの言葉である。
「私……たちは、そこまで筋肉馬鹿ではないのだが」
筋肉馬鹿でない面子に、ルビアンを入れるべきか、一瞬躊躇したのは生涯の秘密である。
しかし主のやんわりとした反論へ、シロマは重々しく首を振り振り。
「坊ちゃんは口下手で、不器用ですから。ルビアン様も、少々うっかり屋さんなところがございますので。むしろアンリル君が一番安全だと、ばあやは考えております」
使用人から、悪魔よりも厄介な存在と目されていたのか。これは衝撃の事実である。
危険と評されたルビアンも、安全宣言がなされたアンリルも、一様に苦み走った顔である。そうなって当たり前だろう。
「……大丈夫だ。あくまで今日は、話し合いを行うだけだ」
「左様でございますか?」
──何故、そんなにも残念そうなんだ。むしろばあやは、血を見たいのだろうか? そう言えば低血圧だと言っていたが……いや、関係ないな。
詮無いことを考えながら、三人は外へ出た。そのままギャングたちの根城となっている、繁華街へと向かう。
少々のすったもんだを挟みつつも、比較的順調に進んだのはここまでであった。
先頭を歩くラクナスの足元を、黒い楕円状の何かが横切った。
「ん?」
その素早い動きにつられ、彼の視線は足元へ落ちる。
そして、自分のすぐ傍にいるゴキブリを目撃した。黒光りの大物だ。
「っうわあああああああ!」
ギャングの本拠地付近だということも忘れ、ラクナスは震え声で叫んだ。
むしろその叫び声に、ルビアンとアンリルはびくり、と肩を震わせる。
即座に、アンリルの口は「う」の形を取っていた。「うるさい」、または「うるせー」と怒鳴るためであろう。
しかしその罵倒が出ることはなく、
「うぉっ」
代わりに上ずった声が、小さく上がった。
「あーあ」
ルビアンもラクナスを見上げ、頬をかく。
ゴキブリに心底恐怖したのだろうか。ラクナスは、キツネの獣人へ転じていた。
「防衛本能で転化するシステムになってるけどよー……そこまで怖かったのか?」
アンリルは呆れ声だ。無理もない。
ラクナスは犬歯で舌を噛まぬよう、注意深く口を動かす。
「わ、私は、虫が駄目、なんだ」
なおゴキブリは、恐慌を来たしたラクナスに恐怖したようで、既に姿を消していた。
ぶはっ、とアンリルが噴き出した。
「それでよく、こんな薄汚え街の親玉やってんな!」
「押し付け、られた」
気落ちして丸まったラクナスの背中を、ルビアンが励ますように撫でる。
そのまま顎も撫でると、ぐるるる、と嬉しげに喉を鳴らす音がした。
なんとも飼い慣らされた光景を、アンリルは白けた目で見ていた。柔らかな白髪もかき回す。
「キツネってか、猫みてーになってんじゃねーか」
「可愛いから、どっちでもいいんです」
ルビアンがぴしゃりと言い切る。
可愛いだろうか、とアンリルは首を傾げた。ラクナスも、マズルにしわを作る。
そのままルビアンが撫でつつ、転化が解除されるのを待ったものの、結局ラクナスは元に戻れなかった。
時間も押していたため、仕方がなくそのまま、ギャングの本拠地へ向かう。
海千山千で百戦錬磨な男たちの、叫びの合唱が旧王都に響き渡るのは、それから間もなくのことであった。
流血沙汰にこそならなかったものの、シロマの期待通り、ギャングたちの反骨精神を根元から折ったラクナスであった。
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