19:二柱目の悪魔

1/1
前へ
/47ページ
次へ

19:二柱目の悪魔

 会談という名の、キツネの君による一方的かつ不本意な恫喝が終わった後も、ラクナスは人間に戻れなかった。 ──どれだけ私は、虫が苦手なんだ。  己の打たれ弱さについ、心が滅入る。長い尾も、怯えるように胴へ巻き付いていた。  彼が異形のままでいる以上、人通りの多い道は進めなかった。ギャングの首領のように、泡を吹いて失神する犠牲者が増えかねない。  よって往路よりも人目に付かぬ、裏路地ばかりを選んで帰路につく。 「私は、一生、このまま……?」  ラクナスは絶望感から、泣き出しそうな声で呟いた。 「そんなことないですよ、ラクナス様。お屋敷に戻って、お茶でも飲んだらすぐ戻れます」 「そーそー。どうせ、また虫が出てくんじゃねーか、内心ビクビクなんだろ? そんなんじゃ、戻れるわけねーだろ」  ルビアンだけでなくアンリルも、あまりにもラクナスの背負う空気が、悲壮感たっぷりだったためか、激励の言葉を投げかける。  慰めるように、金褐色の体毛が豊かな首周りを優しく撫でつつ、あ、とルビアンは呟いた。 「そういえば、青空教室はどうしてるんですか? この辺りでやってるなら、虫も出ますよね?」 ──どうして青空教室のことを、知っているのだろう? 話しただろうか?  まとまらない頭で考えつつ、ラクナスはぼそぼそ答える。 「もう、何度か、転化してる。子どもから、キツネのおじさん、呼ばれている」  げ、とアンリルが呻いた。 「ただのやべーオッサンじゃねーか。ガキの親に刺されず済んでるのが、奇跡じゃねーか?」  酷い言い草だが、反論しようもない。へな、と耳がしおれた。  それを見つけたルビアンが、非難の目をアンリルへ向ける。 「ちょっとアンリル。ラクナス様の可愛いお耳が、台無しじゃないですか」 「なあ、ルビアン。こいつ、本当のマジに可愛いか? おめー、視力大丈夫か?」  アンリルの眼差しは、可哀想な子を見る時のそれだ。  なお不安全な裏路地散歩であるが、獣人の五感を用いれば、危険を全て回避することが出来た。  殺意みなぎる体臭も、武器を構える微かな物音も、あまねくラクナスは察知した。  もっともそんなものを使わずとも、ギャングの幹部が失禁する異形ぶりである。先頭を歩いているだけで、余計な害悪は払われていた。  そんな予想外に安全だった復路だが、屋敷の十メートル程前まで来た時、ラクナスの歩が止まった。  腰を落とし、彼は犬歯をのぞかせ唸った。  突然の変わりように、ルビアンも戸惑う。 「ラクナス様、狂犬病ですか?」 「違う。何か、屋敷の前に、いる」  ルビアンとアンリルは一瞬視線を交わし、次いで揃ってラクナスを見る。 「何か、ですか?」 「何だよ、また虫か?」  アンリルの言葉に、ラクナスは首を振った。 「悪魔、だ」 「えっ」 「はぁっ?」  二人が素っ頓狂な声を上げた。  だが、ラクナスの嗅覚は訴えていた。  暗くて湿り気のある、魔界の匂いを漂わせた人影が、屋敷の前にあった。  ルビアンたちの声が聞こえたのか、俯きがちだったその人影が、こちらを向いた。  それは一見すると、ルビアンより二、三歳上に見える、漆黒のドレスを纏った金髪の女性だった。 「げっ……シージェ……」  女性の姿を見とめたアンリルが、強張った声で名を呼ぶ。  シージェと呼ばれた女性は、パッと顔を輝かせた。花を背負わん勢いの、喜びようである。 「お会いしたかったですわ、アンリル様!」  舌っ足らず気味の甘い声で、歓声を上げる。同時に、大きく手を開いて駆け寄って来る。  アンリルの知人。やはり悪魔で、間違いない。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

69人が本棚に入れています
本棚に追加