69人が本棚に入れています
本棚に追加
22:少年悪魔のゆらぎ
相変わらず仲睦まじい──どころか、使用人が覗き見しているのにも気づかず、公然イチャイチャを始めた二人に、アンリルは胸やけを覚えつつも安堵した。
──あの怪力女のことだから、刺し傷程度で『こんな目に遭うぐらいなら、離縁だ!』なんて言いだしゃしねーとは思ってけど。
しかしこれで、心置きなく出て行けるというもの。
手早く荷物をまとめたトランク──ラクナスから買い与えられた衣類や日用品、また律義に支払われている給金が入っている──を抱えなおし、彼は柱の陰から一歩踏み出す。
ラクナスは優れた聴覚の持ち主であるはずなのに、そこでやっと、第三者の存在に気付いたらしい。
ルビアンを抱き寄せ、なおも口づけを重ねようとしていた彼は、アンリルへ驚愕に強張った顔を向ける。次いで大慌てで一歩退き、彼女と距離を取った。
顔も真っ赤である。
その慌てぶりが愉快で、アンリルはにやりと笑う。
「全部見てたから、気にせずイチャイチャしとけよ」
「するか、馬鹿者!」
耳といわず、髪が逆立っている。相当動揺しているらしい。
最後に良いものが見られた。
「アンリル、その荷物はどうしたの?」
睦言を目撃された程度で動じぬルビアンは、彼の荷物に着眼した。まっすぐな眉を、かすかに潜めている。
彼女の問いかけに、アンリルは肩をすくめた。
「何って、荷物だよ、見たまんま。あのバカ女に居場所を知られたんだ、オレは出て行くぜ」
「そんな、いきなり」
「仕方ねーだろ。女主人サマを傷物にしちまったのに、居座れるワケねーじゃねーか」
深刻になり過ぎぬよう、冗談めかしてそう言った。
「この前は拳王だって、言ってたくせに」
ルビアンも軽口で応酬するが、その声も表情も、どことなく湿っぽい。
「魔界にも帰れない君が、ここを出てどうする気なんだ?」
落ち着きを取り戻し、アンリルへ問いかけるラクナスの口調は、平素よりも優しい。
──そんな声で話しかけんじゃねえーよ、気色わりい。決心鈍るじゃねーか。
胸中で毒づき、アンリルはこみ上げるものを押さえる。
「ほっときゃ、そのうち加護も切れるんじゃねーか? それまで、適当にぶらぶらしてるよ」
「だったら、出て行くのは加護が消えてからでもいいじゃない」
ルビアンの声の、悲哀の色が強まる。
視界が潤むのをごまかすように、アンリルは目をしばたいて首を振った。
「できるかよ、んなこと。悪魔だって、それぐらいの礼儀はあるんだよ」
鼻で笑おうとしたのに、声が鼻声になってしまった。
慌てて目じりを拭う彼の、発育途上の小さな肩へ、ラクナスは手を重ねる。
そして身をかがめ、涙目の彼に目線を合わせる。
「君はもう、サマルカンド家の一員だ。今後何があろうと、君達は私が守る。だから、安心してここに残りなさい」
「けどよ……」
「勝手に出て行ったら、私たちだけじゃなくて、じいやさんたちも悲しいはずだよ? お年寄りには優しくしなくちゃ」
にっかり、とルビアンも笑う。
分かっていたことだが、怪我なんて微塵も気にしちゃいない。
「……ありがと」
年甲斐もなく、アンリルは涙を拭い、鼻をすすった。
泣きじゃくる彼の頭を、ラクナスがゆっくり撫でた。その表情は、優しい笑顔のままだ。
「君は本当に、根が真面目なんだな」
「うるてい! オレが真面目なわけあるかよ!」
キャンキャン吠える彼に、剛毅な夫婦は揃って笑った。
「いつもこんな風にしおらしいと、悪ぶってる可愛い弟って感じですよね」
「だな」
ルビアンの言葉に、ラクナスも楽しそうに頷く。
ムッとしたアンリルは、ラクナスの手を振りほどく。
「誰が弟だ! 言っとくけどな、オレの方が年上なんだぞ!」
「しかし、精神年齢は一番下だろう?」
「背の順もね」
そう言ってラクナスに額をつつかれ、ルビアンには頬を優しく引っ張られた。
歯ぎしりして、アンリルはそれに耐える。
年少者扱いされても、癪に障らないことが何よりも癪に障った。
最初のコメントを投稿しよう!