22:少年悪魔のゆらぎ

1/1
前へ
/47ページ
次へ

22:少年悪魔のゆらぎ

 相変わらず仲睦まじい──どころか、使用人が覗き見しているのにも気づかず、公然イチャイチャを始めた二人に、アンリルは胸やけを覚えつつも安堵した。 ──あの怪力女のことだから、刺し傷程度で『こんな目に遭うぐらいなら、離縁だ!』なんて言いだしゃしねーとは思ってけど。  しかしこれで、心置きなく出て行けるというもの。  手早く荷物をまとめたトランク──ラクナスから買い与えられた衣類や日用品、また律義に支払われている給金が入っている──を抱えなおし、彼は柱の陰から一歩踏み出す。  ラクナスは優れた聴覚の持ち主であるはずなのに、そこでやっと、第三者の存在に気付いたらしい。  ルビアンを抱き寄せ、なおも口づけを重ねようとしていた彼は、アンリルへ驚愕に強張った顔を向ける。次いで大慌てで一歩退き、彼女と距離を取った。  顔も真っ赤である。  その慌てぶりが愉快で、アンリルはにやりと笑う。 「全部見てたから、気にせずイチャイチャしとけよ」 「するか、馬鹿者!」  耳といわず、髪が逆立っている。相当動揺しているらしい。  最後に良いものが見られた。 「アンリル、その荷物はどうしたの?」  睦言を目撃された程度で動じぬルビアンは、彼の荷物に着眼した。まっすぐな眉を、かすかに潜めている。  彼女の問いかけに、アンリルは肩をすくめた。 「何って、荷物だよ、見たまんま。あのバカ女に居場所を知られたんだ、オレは出て行くぜ」 「そんな、いきなり」 「仕方ねーだろ。女主人サマを傷物にしちまったのに、居座れるワケねーじゃねーか」  深刻になり過ぎぬよう、冗談めかしてそう言った。 「この前は拳王だって、言ってたくせに」  ルビアンも軽口で応酬するが、その声も表情も、どことなく湿っぽい。 「魔界にも帰れない君が、ここを出てどうする気なんだ?」  落ち着きを取り戻し、アンリルへ問いかけるラクナスの口調は、平素よりも優しい。 ──そんな声で話しかけんじゃねえーよ、気色わりい。決心鈍るじゃねーか。  胸中で毒づき、アンリルはこみ上げるものを押さえる。 「ほっときゃ、そのうち加護も切れるんじゃねーか? それまで、適当にぶらぶらしてるよ」 「だったら、出て行くのは加護が消えてからでもいいじゃない」  ルビアンの声の、悲哀の色が強まる。  視界が潤むのをごまかすように、アンリルは目をしばたいて首を振った。 「できるかよ、んなこと。悪魔だって、それぐらいの礼儀はあるんだよ」  鼻で笑おうとしたのに、声が鼻声になってしまった。  慌てて目じりを拭う彼の、発育途上の小さな肩へ、ラクナスは手を重ねる。  そして身をかがめ、涙目の彼に目線を合わせる。 「君はもう、サマルカンド家の一員だ。今後何があろうと、君達は私が守る。だから、安心してここに残りなさい」 「けどよ……」 「勝手に出て行ったら、私たちだけじゃなくて、じいやさんたちも悲しいはずだよ? お年寄りには優しくしなくちゃ」  にっかり、とルビアンも笑う。  分かっていたことだが、怪我なんて微塵も気にしちゃいない。 「……ありがと」  年甲斐もなく、アンリルは涙を拭い、鼻をすすった。  泣きじゃくる彼の頭を、ラクナスがゆっくり撫でた。その表情は、優しい笑顔のままだ。 「君は本当に、根が真面目なんだな」 「うるてい! オレが真面目なわけあるかよ!」  キャンキャン吠える彼に、剛毅な夫婦は揃って笑った。 「いつもこんな風にしおらしいと、悪ぶってる可愛い弟って感じですよね」 「だな」  ルビアンの言葉に、ラクナスも楽しそうに頷く。  ムッとしたアンリルは、ラクナスの手を振りほどく。 「誰が弟だ! 言っとくけどな、オレの方が年上なんだぞ!」 「しかし、精神年齢は一番下だろう?」 「背の順もね」  そう言ってラクナスに額をつつかれ、ルビアンには頬を優しく引っ張られた。  歯ぎしりして、アンリルはそれに耐える。  年少者扱いされても、癪に障らないことが何よりも癪に障った。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

69人が本棚に入れています
本棚に追加