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24:奥様はお人好し
ラクナスが書斎に引きこもり、三角座りのまま石と化してから二時間が経った。
いい加減首も痛くなってきたのだが、動く時機を逸したため、動けずにいた。
人目がないのだから動けば良いのに、と思われるだろうが、彼はクソ真面目で融通が利かないのだ。
落ち込んでいる姿勢は、他人の視線に関係なく形作られる。作っているのは心だ。
だから動かない、というのがラクナスの持論である。
なんとも面倒くさい。
こんな彼と結婚できるのは、万事が万事楽天的なルビアンぐらいであろう。
「ラクナス様──ああ、やっぱり同じ格好だ」
ノックもなしに書斎へ入って来たのは、そんなルビアンだった。
無意識のうちに、ラクナスの肩が強張る。起き上がりつつあったキツネ耳も、すぐさま横倒しとなってしまった。
だが鋭敏な耳は、彼女の押すカートの音も聞き洩らさなかった。
次いで、ルビアンが左腕を使えない事実に思い至る。
先ほどまでの居心地の悪さなどすっかり忘れ、ラクナスは立ち上がり、彼女の押すカートを引き受ける。
「怪我をしているんだ。無茶をするんじゃない」
「ありがとうございます。そういうところ、ラクナス様らしくて好きですよ」
恨み辛みのない、無邪気な笑顔と好意を返される。
ラクナスは再度の居心地の悪さについ、視線を急降下させてカートを見つめた。
カートの上には、茶器が載っていた。白磁のポットからは湯気と共に、ふくよかな紅茶の香りも漂っている。中身はアールグレイのようだ。
それから、シロマ手製であろうスコーンやジャム、そしてサンドウィッチも。
「ラクナス様はお昼、まだ食べてないですよね? ばあやさんに作ってもらいました。二人でいただきましょうよ」
「しかし……」
「もう怒ってないですから。仲直りしましょう。ね?」
一回り以上も年下の彼女に、気を遣わせてしまった。
ルビアンの優しさが嬉しい反面、ラクナスはひどく後悔した。
「先ほどは、君の気持も顧みず、要らぬ世話を焼いてしまい、申し訳なかった」
ために、せめて謝罪の言葉だけでも、と彼女の目を見て伝える。
無垢な深紅の瞳は、じぃっとラクナスを見上げている。
「あのようなことはもう、二度としない」
「そりゃ良かったです。またお手洗いについてきたら、今度はビンタするつもりだったので」
武神の孫娘の掌底打ち……否ビンタ。
それを受けて、ラクナスの頭部と胴体は繋がったままなのだろうか?
思わず両手で頬を覆い隠し、ラクナスの顔が引きつる。
「……絶対に、二度としません」
「どうして敬語なんですか」
ルビアンは眉をひそめたものの、さして気にした様子もなく、お茶の準備を進める。シロマの薫陶を受けたのだろう、慣れた手つきだ。
書斎に置かれた、丸テーブルの前に並んで座り、二人でお茶を飲む。
ラクナスは砂糖を入れ、ルビアンはミルクを入れて。
「私のせいで怪我を負わせた。だから君に、疎まれるのではないか、と怖くなったんだ……」
紅茶の温かさで、身体の内側が熱を取り戻したからか。
ラクナスはなけなしの勇気で以て、ぽつり、とこじらせた胸の内を告白した。
紅茶の水面を見つめていた、ルビアンの視線が黙ったまま、暗い表情の彼を窺う。
その視線にも気付かぬ様子の、ラクナスの脳裏に反響していたのは、元婚約者が最後に叫んだ言葉だった。
──こんな化物と結婚だなんて、私には出来ません!
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