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27:サマルカンド式贅沢
サマルカンド家は、珍しくも順風満帆だった。悲観主義者のラクナスが、
「このままでは天変地異が起き、一族郎党どころか、国単位で滅亡するに違いない!」
と疑心暗鬼になるほどに。
ラクナスの所有する鉱山で、新たな鉱脈が見つかったのだ。それも、規模は過去最大級だという。
おかげで旧王都復興も、資金面での目途が立った。
また、他所の鉱山が爆発事故で閉鎖に追い込まれたため、そこで働いていた鉱夫たちをラクナスの鉱山または、旧王都復興の作業員として雇うことも出来た。
よってラクナスは天からのしっぺ返しに怯えつつも、貴族の義務として、鉱山の発掘作業も旧王都の復興作業も、無事に終わらせることを心に誓ったのである。
そんな生真面目な主人に、たまの贅沢を提案したのはバルージャだった。
なにせ「高貴なる者の使命」に則って生きているラクナスは、一周回って非常に貴族らしくないのだ。
彼はろくに休みも取らず、常に領民のため、動き回っている。
しかもそれを、一切苦に思っていないのだ。むしろ嬉々として行っている節がある。
働かないことを美徳とする貴族社会においては、耳の件がなくとも異端児である。
とはいえ、ラクナスに面と向かって
「金もあるんだ、遊んで来い」
と言ったところで、無駄である。
「こうして今、休みを取っている。これで十分だ」
と書類片手の、爽やか笑顔で言われるのがオチである。
なので
「ルビアン様に、たまには贅沢を満喫していただいたら如何でしょうか?」
彼の人となりを熟知するバルージャは、からめ手で攻める。
「ルビアンに?」
尋ね返したものの、平素は凛々しいラクナスの表情が一瞬、へにゃりと崩れた。
敏腕家令は、それを見逃さなかった。
やむにやまれぬ事情で結婚したこの夫婦は、意外にも馬が合った。
今ではすっかり、おしどり夫婦である。
傍で見ているこちらが、何度も胸やけを覚える程に。
執務中のラクナスへお茶のお代わりを注ぎながら、バルージャは坊ちゃんの御しやすさに、内心ほくそ笑む。
「ええ。腕の治療も、今日で終わりでございましょう? 快気祝いも兼ねて、ルビアン様へ何か贈り物をされてもよろしいのでは?」
「カイザーナックルや、鉈を所望される可能性もあるがな」
ラクナスの懸念を、笑い飛ばせない自分が口惜しい。
バルージャも、片腕で薪割りをするルビアンの頼もしさを、鮮明に記憶していた。それも、キュウリを輪切りにするような気軽さで。
「腕がなまっちゃうんで、何でしたら丸太ごと持って来て下さい」
快活な笑みと共にそう言われた時は、どう返答すべきか悩んだものである。
そしてラクナスとアンリルが、何かを悟った顔で黙々と、丸太を転がす様にも驚いたものだ。
「……ルビアン様は、お優しい方です。適切なお店へご案内されれば、その場にふさわしいものをご所望されるかと」
内心の動揺を押し殺し、モノクルの位置を正してそう助言する。
つまりは、武器を見せなければいいじゃない、ということだ。
「それもそうだな。百貨店にでも連れて行くか」
顎に手を当て、ラクナスは満足げに笑う。そのまま絵画に落とし込めそうな、美麗な笑みである。
腕力に物を言わさなければ絶世の美少女である、ルビアンの隣に立って遜色ないほど、キツネの君も造作が整っている。
故に、何気ない仕草すらも様になるのだ。
眩しい思いで彼を見つめていると、何故この御方だけが辛い目に遭うのだろう、とつい愚痴っぽい気持ちも芽生える。
一方のラクナスは銀製の懐中時計をベストから取り出し、キツネの耳を嬉しそうにピン、と立てた。
「そろそろ時間だな」
何の時間、とは問わない。
使用人トリオは重々に承知している。ラクナスが診療所へ向かう愛妻を、手ずから送迎していることなど。
もちろん実際にルビアンを運ぶのは、辻馬車の仕事であるが。
執務机から立ち上がったラクナスの背後へ、首尾よく回り込んでジャケットを羽織らせる。
ありがとう、と彼は小さく笑った。使用人たらしの笑顔である。
「それではじいやの助言通り、ルビアンと百貨店に行ってくるよ。夕食までには帰る」
「かしこまりました。ぜひお二人で、ごゆっくりなさってくださいませ」
「ああ、ありがとう」
ステッキを小脇に携えて、書斎から出た彼へ、アンリルが素早く走り寄る。
「ルビアンを迎えに行くのか、旦那?」
「ああ。帰りに、百貨店にも寄るつもりだ」
「おっ、いいじゃねーか。嫁孝行ってヤツだな」
「そういうことだ」
頷く彼の斜め後ろを、楽しげなアンリルが位置取りする。少年悪魔の従僕ぶりも、ずいぶんと板に付きつつある。
そしてバルージャに見送られ、二人は辻馬車を捕まえて診療所へ向かった。
見目麗しい従僕をあえて、馬車の外へ侍らせる貴族も多いと聞くが、ラクナスはそうしない。
「馬車と並走させて、何の意味があるというんだ?」
それが彼の持論である。
合理主義なのに理想主義者でもある、まだまだ青臭さの残る当主が、バルージャもシロマも好きなのだ。おそらく、アンリルも。
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