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28:百貨店デート
百貨店は中流階級以上の人間にとって、娯楽であり、自身の社会的地位を誇示する場でもあった。
二年程前、新王都に新しく出来たその店は今日も、身なりの良い客で溢れ返っている。
行商人が廃れつつある昨今、百貨店に並ぶ百花繚乱の高級品を、どれだけ早く身に付けられるか。そんな、輝かしいのに泥臭い戦いが、社交界では繰り広げられているのだという。
面倒な文化が根付いたものだ、と感じる一方、貴族が身に付けることで流行が生まれ、それによって経済が回っているという現状には、「上手く出来ている」と感心するラクナスであった。
「ふわー、キラキラですね」
ルビアンは表玄関にぶら下がったシャンデリアを見上げ、頬を紅潮させている。
田舎の孤児院で育った彼女にとって、百貨店は馴染みが薄いようだ。
「ここに来るのは初めてかい?」
「はい。クレムリン家にいる間は、あまり外に出してもらえなかったので」
「そう、だったのか」
「だから新王都に住んでいたのに、おのぼりさんの気分です」
屈託ない彼女の笑みを、苦い気持ちを抱えて見つめる。
クレムリン夫妻は、彼女への淑女教育こそ熱心に行ったものの、情操教育はまるで無視していたようだ。よくぞここまで、真っ直ぐ頑健に育ったものである。
──あの夫婦なら、やりかねない。息苦しい生活を強いられていたんだな。
自分は彼女の世界を広げてやりたい、ともラクナスは考える。
「人間の欲の塊って感じだなー。いやー、このドロドロした感じ、心落ち着くなー」
一方アンリルの楽しみ方は、少々気味が悪かった。いかにも高額な新作ドレスに、目の色を変えているご婦人を、うっとりと眺めている。
──腐っても……いや、更生しても悪魔というか。とはいえ、楽しいのならば何よりだ。
「はじめての百貨店」であることが丸出しの二人を、ラクナスは苦笑しつつも優しく見守る。
周囲が自分に向ける冷ややかな視線に、気付いていないわけではない。気付いているし聞こえてもいるが、二人が喜んでいてくれるのなら耐えられた。
それでも一応、特に悪魔が浮かれ過ぎぬよう釘を刺す。
「あまりはしゃぐなよ、アンリル」
「おいコラ。なんで名指しなんだよ!」
「それはほら、実年齢が一番幼いから」
ルビアンの指摘に、アンリルは口を尖らせた。
人間と比べれば非常に長命な悪魔だが、外見上の年齢と精神年齢はイコールである、とサマルカンド夫妻は知っている。
靴や本、そしてアクセサリーにドレス。次いで化粧品と手芸用品。
女性の好みそうな品々を扱う店を、三人で見て回る。
ルビアンはどの店舗でも眩しい笑みを浮かべるものの、「これ」と呼べるお気に入りは見つからない様子だ。
「遠慮せず、欲しいものを言って構わないよ」
ラクナスがそう、やんわり促すも
「いやいや、遠慮してるつもりはないんです。どれも素敵なんですけど、欲しいほどじゃないかなと」
ルビアンは申し訳なさそうに、小さく肩をすくめるばかりだった。
彼女によれば、ラクナスが買い与えてくれた服飾品や身の回りのもので、十分間に合っているのだという。
それらは安価な粗悪品ではないが、決して高価な品々でもない。
彼らの経済状況に合わせた、「分相応」なものばかりだ。
「君は物欲がないんだな」
途中で百貨店横のコーヒーハウスに立ち寄り、コーヒーを楽しみながら、ラクナスはそう言った。
紅茶とはまた異なる、しかし心地良い香りが鼻孔をくすぐる。
ホットチョコレートを飲んでいたルビアンは、首を捻った。
「そうですかね? あ、これがあるから、満足できてるのかもしれません」
「これとは?」
ラクナスに問われ、ルビアンは包帯が取れたばかりの左手をかざす。
ほっそりとした指に、黄金色の指輪が輝いていた。
サイズ違いの同じものが、ラクナスの左薬指にもはまっている。
「ラクナス様とお揃いの指輪以上に欲しい物なんて、そうそうありませんよ」
「有り難い話だが……そういうことは、あまり公衆の面前で言わないように」
照れくささでラクナスはうなだれるも、ルビアンは反省した様子もなく、へい、と軽い相槌を打った。
一般市民も利用するようなコーヒーハウスであるため、アンリルも二人と同じテーブルについている。
彼もホットチョコレート──当初はブランデーを所望したが、どう見ても子供のため、店主から拒否されていた──を飲みながら、うまい、と呟く。
「ほろ苦い甘さと、まったりしたのど越しが良いな、これ。ミルクがよく合うじゃねーか」
「何だか、料理評論家のような感想だな」
意外なアンリルの一面に、ラクナスもルビアンも噴き出す。
「でも本当に美味しいんです。これ、お屋敷でも飲みたいですね」
カップを両手で包み込むルビアンの笑顔は、百貨店にいた時よりも寛いでいる。こういう笑みの方が、実に彼女らしい。
「なるほど、チョコレートか」
ラクナスは顎に手を添え、中身が半分まで減った、ルビアンのカップを眺める。
次いで彼女と目を合わせ、紺碧の瞳を細めた。
「買って帰るか?」
「良いんですかっ?」
ルビアンの声が弾む。
彼女の声に、ラクナスの口角も優しく持ち上がった。
「ああ。皆で楽しめる贅沢品の方が、我が家にふさわしいだろう?」
「そうですね」
ルビアンもはにかみ、頷いた。
「お人好しな夫婦だな、おめーら」
自分のホットチョコレートを飲み干し、アンリルがニヤリ、と粗野に笑う。
そうだろうか、と夫婦は視線を合わせた。次いで、揃って少年悪魔を見やる。
「それを言うなら、君も相当なお人好しだと思うぞ」
「ですよね。チョコレートにキャッキャしたり、かなり人間社会に毒されてますよね」
「キャッキャはしてねーだろ!」
毒されている点は、否定しないらしい。
なおも小競り合いを繰り返す二人を、ラクナスはまあまあ、と慣れた調子で宥めた。
「だが、買いたい物が見つかって良かったよ。どうしても欲しいものが見つからないなら、武器屋にも寄るべきかと悩んでいたんだ」
武器屋も行きたい、と言われるかと思いきや。
意外にもルビアンはむくれた。さくらんぼ色の唇を尖らせて、目もすがめる。
「嫌ですよ、ラクナス様。敵は自分の拳で打ち倒してこそ、意味があるんですよ」
「そ、そうなのか」
「はい。だよね、アンリル?」
突如話題を振られたアンリルは、しみじみと頷く。表情も、どことなく渋い。
「そうだな。おめーが武器持っちまったら、史上最凶の殺戮兵器が出来上がっち──アダァ!」
弾丸のように鋭いデコピンが、アンリルの額に直撃した。
ドギャン、とデコピンらしからぬ重低音が響く。
なお悪魔も絶賛したホットチョコレートには、老使用人たちも大喜びした。
それは秋の後に待ち構えている、長い冬の間、サマルカンド家の夜の定番となった。
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